信じることと知ることと

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#BookCoverChallenge

春にコロナが流行った時、↑のキャンペーンが流行った。しかしさすがはジャパニーズ、すーぐ飽きてしまった。
未だ第一波継続中だというのに。これだからジャップは。

森友加計、桜を見る会問題を含め、健忘症とは日本人の謂。だが俺はしつこいぞ。延々覚え、忘れない。
加古川で、自宅の前からいなくなった女の子はどこ行った。ん?

なのでBookCoverChallenge。夏のうちにお化け篇。

小林秀雄は柳田國男好きで、https://youtu.be/pNoBd6cpBxs 

の講演でも彼を賞賛している。
エッセイ集『考へるヒント』(文春文庫)所収の『信じることと知ることと』では柳田先生の、あの”おばあさんの珠〝に言及。ここでも柳田氏の感性を褒めたたえているが、これは『妖怪談義』のいわばサワり。小林秀雄は〝信じるー〝でもそうだが、中身に触れない。
※唯一の例外は『山の人生』の、木こりの話。食いつめた木こりが子どもたちに頼まれ、その首を斬るという。

実朝に鉄斎、小林氏はいつも「虚心坦懐、もの(自体)に当れ」と言う。しかし彼は、柳田國男の感性、人となりには興味があってもお化けだの民話だのには関心がなかった。その著作(自体)、もの自体には。

キリスト教 ー ある種霊的なもの ー とお化けとは違うが、小林秀雄がキリスト教に全く無理解・無知蒙昧だったのは、そんなところに原因があるのかもしれない。

俺は少し、中身に触れておこう。柳田國男『妖怪談義』(講談社学術文庫)。
電話をする時、人は「もしもし」と言う。なぜか。
高度成長期以前の日本の村、日暮れ時には外は真っ暗。知悉している村の衆なら姿かたちで判別できるが、そうでない者 ー 余所者や異界の者 ー は格別。
そこで「もしもし」と声をかけ、答える声が仲間なら良し。そうでなければ・・・

※道祖神はむろん、この関係。

これが「もしもし」の起源であり、黄昏は「誰そ彼」。そう柳田國男は看破するが、極めて恐ろしい話である。

たそがれ時は、英語でいうとトワイライト(タイム)。ウルトラシリーズの元ネタであるこれも
◆映画版Twilight Zoneより

https://youtu.be/8rL5a3ZAQxs

「誰そ彼」は、た・そ・が・れ。もしかしたら、この世のものではないかも知れない。
ことほど左様に伏魔ヶ時、洋の東西はないので。

トワイライト(伏魔ヶ時)で想起するのは、この曲。

バーで酔っ払い、トワイライトゾーンに迷いこんだ
人ごみの中で孤独を感じてる
田舎に帰りたくなるよなあ
ハイになりたければ、ヤクは選び放題
別れの時が来ちまったようだ

◆ストーンズ ー Before They Make Me Run

https://youtu.be/clE8lH13rAA

テイルランプが消えるのを見ていた
家に帰って泣かずにいられなかった
俺が街を去る間も、奴らは笑い歌い、ダンスで酔っ払い
せめて俺を天国に連れていってくれ この世の地獄を過ごしたんだから
決して楽しそうには見えなかったかもしれないな
でも、それなりに悪くはなかったぜ

もしもーし。


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