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朝っぱらから連合赤軍


ブロ友さんが「なんか最近、連合赤軍に非常に興味が湧きまして」とおっしゃる。おお、それは素晴らしい。
彼女のお年は知らないが、俺よりずっと若いのは確か。若い人がこげなものに関心持たるるは、とても良いことだと思う。

えー、むかし「連合赤軍」といふ集団がありまして。クソ左翼かつ過激派ですね。極左暴力集団ってやつ?
先日、八代某なる自称弁護士が

「日本共産党は未だに暴力革命を放棄していない」

などとテレビでデマを飛ばし、批判されたが実際には訂正も謝罪もしなかった。謝るふりはしたけれど。

彼はおそらく六全協も知らないのだろう。徳田球一書記長の頃の火炎瓶闘争・暴力革命路線を公式に否定した、第6回日本共産党全国協議会(1955)。
また、“敵の出方論〝 ー 敵がやるちゅーならそれでも暴力に訴えるぜ ー を志位和夫氏は否定している。

とまれ連合赤軍や日本赤軍は、反代々木派。日本共産党の本部が代々木にあるので、こう呼びます。
反代々木とは何か。日共が暴力革命を放棄し、議会主義に転じたのを「ヌルい。あくまでも革命には武装闘争が必要!」と離反したのが革マル中核、赤軍派である。

牢屋に入れられ虐待されていた日共の面々は敗戦後、一斉に釈放され表に出てきた。各種労働運動を指導し、国会でも一定の議席を得た。
ところが2・1ゼネストのあたりから雲行きがおかしくなる。これは巣鴨プリズンのA級戦犯釈放と軌を一にしており、つまり占領軍の方針転換。
GHQにも民政局(リベラル)とG2(右翼反動)の二派があり、日本国憲法制定に関わったのが前者。いっぽう後者は米ソ対立や中華人民共和国成立を背景に「クソ共産主義を殲滅すべし!」。米本国はトルーマン大統領の〝鉄のカーテン〝発言やマッカーシーのレッドパージ。←チャップリンはこれでアメリカから追放されました。言いがかりで社会的生命を絶たれたり、文字通り自殺を余儀なくされた人も数多。

結果G2側が主導権を握る。占領政策において。

日本共産党の面々は、手のひら返しで再び迫害さるる。やむなく地下に潜り、武装闘争に奔る。
これが〝茹でダコ〝こと徳田球一書記長の頃であり、共産党アレルギーが未だ我が国に根強いのは、もう70年くらい前のこの印象による。

さて時は経って1960年。まず日米安保条約改定に対する、国民的反対運動。デモデモデモの日々。※この時の首相が安倍晋三の祖父さん・A級戦犯岸信介。
60年代は学生運動が全盛。早大闘争・日大闘争・東大闘争。きっかけは学費値上げ反対も、要は大学改革。教授連が牛耳る学校運営を、我ら民草にも開放せよという「大学の民主化」な。
この時の東大全共闘委員長が山本義隆。2003年『磁力と重力の発見』(みすず書房)がベストセラーに。俺の友人タニ君は、駿台で彼に物理を習いました。

大学改革とは言い条、目指すところはさすが反代々木系。暴力による共産主義革命である。

学生左翼野郎にもいろいろあって。
1、民青 ←日本民主青年同盟=日本共産党の下部組織だから代々木派
2、革マル派 ← 革命的共産主義者同盟(革共同)から分派。反代々木派。
3、中核派 ← 革共同の残留組。反代々木派。

等々。

自分は80年代前半の大学生だから、学生運動はすでに下火。ただ、キャンパスにはタテカンがいっぱいあって、当時母校を仕切っていたのは革マル派。仕切っていたというのは言い過ぎだが、学祭を仕切ってはいた。
母校の学園祭は、入場するにチケットが必要だった。当時500円で、これは在校生でも免除されない。
サークルで焼きそば屋を出さむと自分は、『おまえ強そうだから革マルと交渉してこい」と仲間から。学生会館に独り赴き、連中と折衝。

実績云々言われたが、ここは企業の採用面接と同じ。「誰だって、最初っから実績なんかあるわけねえだろう」。ところが奴らは頑として拒否。
話しているうちにだんだん頭にきて・・・

「貴様らコラ! そもそもなんで学祭入るのに500円も取るんじゃコラ! どうせお前らの資金源なんやろうが。貴様らブチ殺すぞ!」

まことに申し訳ございません。。。が、そんな奴に出店許可する奴はいない。

連中との、微かな出会いはこんなこと。しかし存外革マルは、冷静至極で穏やかだった。
俺がエキサイトしちゃっただけで。
※ほとんど全学、革マルのショバだったが、法学部のみは民青でした。

話が著しく逸れました。

69年の東大安田講堂を以って、学生運動は敗北。三島さんが

「君たちが天皇陛下万歳を叫ぶなら、僕は君たちと行動を共にする」

と言ったのがこの頃。

https://youtu.be/IWFLRU2PQwM

奇しくも平野啓一郎が解説しているように、要は陽明学ですね。知行合一の。ここに三島氏は全共闘と意見の一致を見たわけだ。

※認識がぐるぐる回っているだけでいっかな行動に結びつかない・・・って、まるで俺じゃん!

とまれ敗北した左翼学生は過激化した。
海外向けは日本赤軍、国内闘争は連合赤軍。あんまり詳しくはないけれど、概ねそんな感じ。

よど号のハイジャック・北朝鮮行き。ダッカにおける岡本公三の乱射事件。これらは確か日本赤軍。
いっぽう連合赤軍は、例の浅間山荘。

https://youtu.be/6mv_QPshkgs

これな。当時俺は小学生だったが、先生が授業を中止。1日じゅう延々見させられたわい。「こげな人になっちゃいかんですよ」ち言うて。
当該の担任はOという女性教師。えこ贔屓が酷いクソ野郎(女か)で、いかに鳩山一郎が偉いかなどと授業で口走る阿呆であった。

それはさておき浅間山荘事件を現場で指揮したのが佐々淳行氏。のち“危機管理のプロ〝として講演云々、内閣情報官も務めた。彼って確か、佐々成政の子孫じゃね? ほれ戦国武将の。
そして当時の警察庁長官が、後藤田のおじいちゃん。俺は彼が大好きだった[m:46]

◆佐々淳行原作・若松孝二監督の映画

https://youtu.be/sv1jvtDDVyc

佐々氏は警察だから、原作は、おそらく警察側からの視点なんだろう。少なくとも映画は連合赤軍内部のあれこれを描いている。
永田洋子が内ゲバで仲間を粛正・虐殺、そんな顛末も。坂井真紀だったかしら、虐殺する側かされる側かは忘れたけど、名演。

さていったい、なぜ連中はこんなことをしたのだろう。

俺はわかるようで分からない。誰しも若かりし時には理想を追求するし、しかも当時は「政治の季節」。国家と世界を理想的にという気持ちはわからなくもない。
60年代後半から70年代前半の空気感や、後年ものの本を読み、つらつら思うに・・・

・純粋性と過激性、残虐性は表裏一体
・組織は必ず怪物化する

前者については誰しも思い当たるふしがあるだろう。後者は長じて就職し、大企業に勤めたあとの実感。
ある日ある時、上から指示がくる。それは従来方針と全く逆。しかも誰の指示・責任の所在が本部長なのか事業部長なのか、全く分からない。
現場はもちろん大混乱。これはいわゆる大東亜戦争と同様で、東京裁判の被告証言で明らかになったのは「誰の指示かは分からない」。東條も松井大将も、全員が責任を誤魔化し忌避。
それで国内外、日本人だけでも350万人をブッ殺したわけだ。まさに、ヌエのような怪物である。

連合赤軍日本赤軍とA級戦犯どもは思想的には全く逆。だが、ともに彼らは中里介山『大菩薩峠』の机竜之介状態。
岡本喜八監督・仲代達矢主演の映画を観たハーレムの黒人さんたち、

「日本の江戸時代に、ヤクをやってた侍がいたのか!」

そう驚いたというね。

https://youtu.be/UERtjzkwnR4

理由なき殺人。そして連合赤軍も、大菩薩峠で軍事訓練してたりします。

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