眠れぬ間に間に(1)

いっかな眠れず昨夜1時半頃、もそもそ起きだす。
Youtubeでも見ようかしら。政治話はうんざりだし、お笑いやらは好かん。でも気楽なものをと、うむ、旅番組が良かろ。チャンネル登録してあるミスター・アパッチ氏のを見ていたら、彼がこんなのをアップしていた。
◆エルサレムはヴィア・ドロローサ篇
https://youtu.be/m1zZw8SDfe8

普段饒舌に紹介してくれるアパッチ氏も、ここではただ映すだけ。しかも題に「キリスト教徒へ」とある。ご自身おそらくクリスチャンではなかろうに、その心遣いがうれしい。さんきゅサンキュー。
※動画のコメント欄に感謝の言葉を記しました。

ヴィア・ドロローサとはラテン語で「苦難の道」という意味。ご紹介にもあるとおり、イエス=キリストが処刑される時、自ら架かる十字架を背負い鞭打たれながら刑場まで歩んだ道のこと。
世界遺産に登録されており、クリスチャンはもとより観光客が、世界中から訪れる。俺はもちろん行ったことはないけれど、聖墳墓教会等のステイション(ポイント)が10いくつある、まことに美しい路である。
だからこそ却って、イエス様の苦難が忍ばれる。

静かに感動していたら、右下に ー Youtubeが気を遣ったものか ー 久しぶりにハーベスト・タイムの動画が。
ハーベストタイム。たしか神戸のキリスト教ラジオ放送。https://harvesttime.tv/
もちろん聴いたことはあるが、ずっと無沙汰をしておった。Youtubeが推薦してくれたのは、そのものズバリ「キリスト教とは何か」。
◆ https://youtu.be/rhfamOXlcu8

主任牧師は昔と変わらず中川師。彼の説教、集会のライヴ中継である。サンキュー、Youtube。
ご承知のとおり自分はクリスチャンであるが、昨今の振る舞い(ここへの書き込みを含む)を振り返るに、相当聖書から、すなわち主イエスから乖離しておった。そんな思いがあったのか、ガッツリ聴き、メモを取った。

中川先生の刑務所話や、おもろい例えを含むフルバージョンは、上掲動画をプチってみてください。ここでは不肖ワタクシの、要約のみ書きます。

◆キリスト教とは何か 以下※は俺の追記。

1、世界観である
19世紀の西欧(近代)以降、日本じゃ特に壮年男性に多いのが「理性万能」という考えである。つまり「証明できないものは信じるに値しない」(※)という考え方で、「神がいるというなら見せてみろ」の式。
ところが今、「〝証明できないものが存在しない〝という事を、証明せよ」なる問が、逆に提出されている。現在それは世界中で、哲学上の大問題となっている。
※ビジネスマンに多いのがこの式で、「根拠を出せ、ソースを出せ」。あながち間違ってはいないしまぁ正しいが、むかし俺が長く勤めた会社では、上司「何ゆえに」「んー、よく分かんないけどそんな気がして仕方ないんすよねー」「そっか。お前がそう思うならそうかも知らん」なんて会話が成り立ち、やってみなさいいうことがしばしばあった。

信じている人も、証明が無いなら信じない人も、お互いそれぞれ〝信仰〝と言える。それは即ち〝互いに証明できない〝いうことである。

キリスト教は、だからというか一方というか、〝非理性〝というより〝超理性〝である。
クリスチャンは「天地万物を創造した絶対的神がいるならば、私たちの有限なる頭脳では、彼を全的に理解すること能わず」と考える。これが超理性である。
父なる神の「父」という語は、人間の言葉であり、いわば類推の言葉。神を全的に理解できないとするならば、いきおい類推するしかない。イエスの「羊飼いと羊」もそうで、我々人間が理解できるように、神ご自身がそんな言葉を用いてくださる。
※ここで示す「神ご自身の言葉」とは、むろん聖書の言葉。そして聖書は聖霊を通じて語られた言葉が、口伝からヘブライ語やギリシャ語を経て、1冊の本になったとされる。

キリスト教は科学と何ら矛盾しない。科学の発展は創造物即ち神の偉大なる御業を明らかにする、まさにそのものであり、科学の発展によって神が一体どんな方であるのかをより深く知るよすがでもある。
そして科学は、近代理性の謂である。したがってキリスト教は非理性・反理性じゃなく、超理性なのだ。

ただし世の中には、信仰を持たぬまま「面白いから」と聖書を研究する学者が、掃いて捨てるほどいる。知的にのみ「知る」ことと、神を知ることは全く別。
父なる神をパーソナルに、個人的に信頼していることが信仰であり、イスラエルの神、アブラハム・イサク・ヤコブの神として子なる神イエスは教えた。だからイエスは言ったのだ。
「私を見た者は、父を見たのです」
と。
愛と真理こそイエス=キリストであり、我々をそこへ導くのは聖霊なる神である。だから

「三位一体の神」

と云ふ。

私のような者がクリスチャンになぞ、とエブリバディは言うけれど、はあ、※俺スパイスこそ「まさに」である。もうビックリしたもん、霊感もないのに。金縛なんか1度もないのに。
むろん聖書を知的に勉強しましたぜ。でもそれだけじゃクリスチャンにはならない。これぞ聖霊なる神の働きな。アーメン。

〈ここまでのまとめ〉

・キリスト教およびその信仰は、「超理性的」である。
・神の存在は、知識に留まっているのではなく、個人的な信頼に拠る。
・父なる神が天地創造の神であり、子なる神(キリスト)を見れば父なる神を見たのとイコールであり、それを理解させてくれるのが聖霊なる神である。

この三位一体の一体感の中で、私たちは生きている。

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以降、2「歴史観」3「人生観」へと続きます。お楽しみに。

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音楽。サム・クックもリードボーカリストだったゴスペルバンド・ソウルスターラーズ。曲は
◆主イエスは、常に私の避難所である ←直訳
https://youtu.be/YmmAVEPjh-I


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