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宇治野宗輝 個展「ライヴズ・イン・ジャパン」 @山本現代

 Asian Art Awardと同じTerrada Art Complex内にある山本現代で開催されている宇治野宗輝「ライヴズ・イン・ジャパン」

 ヨコトリ2017で発表された初の映像作品「プライウッド新地」から繋がるような展示で、音楽は生演奏ではないものの、よりノイジーで惹きつけられる展示でした。

《「プライウッド新地」 / 宇治野宗輝 (ヨコハマトリエンナーレ2017にて)》

 ヨコトリ2017の「プライウッド新地」は 自身の育った”都市”に焦点を当てた映像と、クレートを住宅街に見立てたような作品でしたが、今回の新作映像は、それよりもさらに”工業製品(物質)”に焦点を当てたような作品

 アメリカで作られた製品(物質)が 日本の建物(器)の中に入ってきて、その歪みが日常化していく様子と、時代を経て その物質感が消失していくような様子が描かれた映像作品は、扱われている製品が ディスプレイや照明、プラスチック容器といった、自分にとっても身近な製品であるため、東京郊外の住宅地を題材とした「プライウッド新地」よりも身近に感じられる内容でした。

 最後に、”20世紀の 電気的物質的圧力から完全に解放された” 世界についてのひとことがあるのですが、それは果たして本心なのか、反語的な意味なのか… なんだかまだもやもやと考えさせられています。


 続いての展示室では、ディスプレイの中で ラジオ、ミキサー、エレキギターといった工業製品たちが大音量のノイジーな音楽を奏でます。

 絵画のように壁に並ぶフラットパネルディスプレイの中に、ごりごりの”物質感”の工業製品たちが映し出され、動き、大音量を発して… でも、ディスプレイの電気が落とされると、その物質感が一瞬で消え去り、”板”になってしまう…

 前の部屋で見た映像作品のなかで扱われていた ”畳に食い込む巨大なブラウン管テレビ” は、自分たちの世代にとっては、ある意味テレビや映画といった”ディスプレイの中の世界のもの” であって、それほどリアリティのある風景であったりもします。

 でも、この”ライヴ”を見た後に その映像作品を思い返すと、その中の言葉である ”電気的 物質的圧力から完全に解放された” 世界が、この作品に表されているようでもあって、一瞬でその物質の”手応え”が消え去ってしまう世界に少し戸惑うような感覚を受けました。

 …でも、21世紀に入って わたしたちは ”電気的 物質的圧力から完全に解放された″ のでしょうか? 高度経済成長期と意味合いは変われど、それでもなお 電気的 物質的 なものの魅力は健在で、だからこそ、宇治野さんの作品を見ると気持ちは高ぶるのかもしれないと思いました。

宇治野宗輝個展「ライヴズ・イン・ジャパン」は、4月7日までです。

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■宇治野宗輝個展「ライヴズ・イン・ジャパン」 @山本現代(天王洲アイル)

会期:2018年3月3日〜4月7日
時間:11:00〜18:00(金〜20:00)
休廊日:日、月、祝

今回の個展は、すべて新作で構成。ヨコハマトリエンナーレ2017で展示された《プライウッド新地》(2017)の発展形ともいえる映像インスタレーション《ライヴズ・イン・ジャパン》(2018)と《電波街(Radiowave Quarter)》(2018)、巨大な配線図のドローイング、そして宇治野が自らの作品制作の原点を「日本人英語」で語るドキュメンタリー風の映像作品《プライウッド・シティ・ストーリーズ

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