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推し活①-1 有間編


「推し」とは、
『人に薦めたいと思うほどに好感を持っている人物のこと』[wikipedia]
だそうだ。

この定義が正しい場合、「推し」は人間であることが必要条件のようである。
つまり、生死は問わず、人類であれば良いわけだ。

というわけで。
歴史上の人物も「推し」の範疇といえよう。

歴史の授業で彼らの人生に起きた事実を知った時、『コイツを助けたい!』と強く思ったものだ。時代背景も何も考慮しないままの、愚かで純粋な怒りである。

そんな罪作りな"コイツ"の一人が、上代に生きた有間皇子である。


さて、今回から、
『有間皇子』の軌跡を辿る推し活を残していきたい。どこまで継続できるかは謎だが、中途半端に終わっても、それはそれ。

軌跡を辿るとは、とても耳触りが良い表現だが、やってることは有間皇子のストーカーである。

ここで一度、彼の人生を大雑把に整理したい。

①孝徳天皇の息子として生まれる@有馬温泉?
②市経に館を構える
③蘇我赤兄に唆され『私の時代始まる(意訳)』発言@11/3
④「やっぱ私の時代来いひんわ」発言@11/5
⑤深夜に捕らえられ白浜に送還@11/6
⑥白浜で中大兄に拷問される@11/9
⑦白浜から飛鳥に向けて送還
⑧送還途中、藤白坂で絞首刑@11/11

彼の罪が冤罪なのか、有罪なのかは、有間が言う通り『天と赤兄のみ知る』である。
2020年代に生きる自分が出来るのは、彼の歩いたルートを辿り、彼が見た景色を共有することだけだ。

彼が何を思いながら、白浜へ向かい、
歌を詠み、死に至ったのか。
想いを馳せながら、軌跡をたどりたい(=ストーカーしたい)。


※学術的な要素は皆無です。
※聖地巡りをして、それっぽい妄想をして満足するだけです。



手始めに、海南市にある藤白神社を目指す。藤白神社の境内に『有間皇子神社』があるからである。

図1:藤白坂方面(撮影地:海南市)

図1は、海南駅から藤白神社方面へ歩く道中の様子である。線路沿いに南に下ると藤白坂がある山の麓にでる。

山の麓付近に「仁義」という任侠めいた踏切がある。呼び方は『じんぎ』ではなく『にんぎ』だそうだ。踏切の名称も深く調べると面白そうだが、今は置いておく。

仁義の踏切を超えると、小栗街道に出る。
図2の説明板によると、病に罹患した小栗判官を土車に乗せて、照手姫が引っ張って熊野を目指した道だそうだ。

図2:小栗街道の説明板(撮影地:海南市)

土車とは、大八車の祖型だそうで、それ自体がかなりの重量と思われる。大八車の重量は、定かでは無いが、ググると車輪1個で40キロ近くあるようである。
板は10キロ程度だと見積もると大八車だけで100キロ近くあることになる。原理上、水平移動はよいだろうが、問題は坂道である。
この街道を通って熊野へ行くには幾重にも重なる坂道を越えなければならない。
照手姫は素手で大八車を引っ張り山々を超えたわけだ。姫、すごい。

図3:全国の鈴木さんの故郷幟

その小栗街道沿いに鈴木屋敷跡地なるものがある。全国の鈴木さんの発祥の地だそうだ。

鈴木姓は元々熊野地方の神主が受け継ぐ姓とのこと。藤白神社の神主は熊野から招聘されたのが始まりだそう。
海南の鈴木屋敷は25代鈴木重秀さんが住み始め、昭和初期まで続いたらしい。
是非、全国の鈴木さんには訪れてほしい。

図3:藤白神社境内にある有間皇子神社案内

藤白神社には立派な御神木があり、歴史深いのだなと感じた。ちゃんとお参りした後に、有間皇子神社へ向かう。


少し長くなったので、次回に続く。

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