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2022年02月選 犬と暮らせば /評

犬と暮らせば  /評

以前はビーレビというサイトに張り付くように閲覧し、投稿、コメントもし、中のゴタゴタとかを話す放送にまで顔を出していたのだけれど、ここ最近はそれらを殆どしなくなった。私にしては大きな環境の変化があって、それに合わせる中で詩というものは省かれていったのだと思う。やりたい方向性がまだ幾つかあるので、完全に詩から離れるということはないのだろうけど、おそらく人生で最も距離を置いている時期だと感じる。前の自分はハイエナ根性と言ったら良いのだろうか、なんでも詩にしたれ精神があった。コロナの詩とか絶対に量産していたと思うけど、3年ちょっとも続いてるなかで覚えてるのは1作くらいだ。私は作者の気持ちとか、文章の表現の技巧だとかそんなのを汲み取るのが得意でもないし、好きでもない。自信は無いのでギフト券はいらないし、相応しくなければ掲載しないで構わないと伝えてある。まぁ、こうやってビーレビの作品に向き合って批評を書いてみるってのが1番の目的なのでそれで良いのだ。 作品ページを開いて、パッと全体を見た時に受け付けなければその詩は読まない。全体の文章に嫌なものがなければ読み進めてみて、やっぱり面白くなければ1行でもやめる。まぁ、皆もやってることだと思うから特別ではないと思う。どうでもいい拘りだが音楽は流さないで外的刺激はカットし、一見読みなので何日にも分けずに1日で行った。これも特別ではないと思うけどそんな風に読んだ。最初から最後まで読んだのは全作品の中で16作品だった。読んでく中で常連さんに1つ疑問が出てきた。自分のその作風に飽きないの?って疑問。私がビーレビもういいやってなったのは、ずっと似たり寄ったりなもんを続けて書いている皆に飽きたのもあるのかもしれない。水戸黄門を見ながら野菜炒め定食を食ってるような。お決まりの中のお決まりに疲れたりしたのかもしれない。ビーレビ全体では色んな人がいるけれど、自分はずっとこれで書いてくんで、他の作風はそれを書く奴に任せるよみたいな。近くで見ると変わんないみたいなね。 作品を選んでいく中で、自分はそうなのかも知れないと感じた事がある。ドキュメント風の詩に惹かれている自分がいたことだ。YouTubeでなんかのドキュメントを見ている事が多いなーと思っていたけど、嗜好が変わってきていると今回で分かった。詩ならではの不思議空間みたいなのはあまり惹かれなくなって、書いてる人の人間性、現実、生活感、人生観、日常的なのが感じられるようなものが好きだ。もう詩の中のファンタジーやSF、アート展開、マジックリアリズム?みたいなのはいらん。私が見たいのは最後の伝統工芸師、地下アイドルにハマり出すおじさん達、ホームレスになった理由、障害者の性処理という仕事、惰性で付き合ってる恋人、セックスの無い不倫、そんな感じのドキュメントとかだ。 今月のを更に絞って選んだ作品は 『魔法はある』『 よくわからないからキスをしている』『 犬と暮らせば』『 魔法はある 犬ver』『 此処も月だったのかもしれない』『 音のない生活』 で、『犬と暮らせば』を私は選びたいと思った。 理由として最初から最後までスラーって読めた。字面のバランスが良くて、ウワー漢字だらけで目がチカチカするみたいなのもなかった。構成も良いと思う。最後以外は5行でずっと展開されている。1個(節?)事の起承転結がしっかりあって、当然だけどおっきく全体で見た時の起承転結もしっかりしてる。超展開や濃い内容は無くて、ざっくり言うと我が家には犬が居る。この犬はこんな経緯で家に来た。こんな感じの犬だ。何もない日常だけどおまえ退屈じゃない?って内容。再現率って言うのかな?映像がとにかく浮かぶ。犬を飼ってなくても、動物を飼ったこと無くてもイメージ出来るよね。何故なら、先に述べた奇っ怪表現や展開が無くて、私達が現在進行形で繰り返している日常を書いてるから。これが全く頭で再現出来ないはウソつきだと思う。だってビーレビ覗いてる奴にヘンテコ人生は少数であり、書いてる奴の大半は同じようなスタイルをずっと擦って書いてるから。あ、もちろん私も含めてね。私は日常がやってらんないし、退屈だから表現の中だけでもとグッチャグチャに文章使って書いてきたけど、こうやって読むと絶対に思い出せないような退屈な1日でも詩として形になり、引き込まれるんだね。この作品の実際は分からないけど、フィクションの敗北を感じたよ。ノンフィクションには勝てないのかもしれない。 些細なことだけど、ちょっとこの詩に対して自分は甘いかな?と思う点は、実際に犬を飼っているから余計に共感したかな?特に小学1年生から飼っていた犬のことを思い浮かべた。もっと遊んだり尽くしてあげれば良かったと涙が出た。退屈だと感じていたなら私のせいだと読み終えた時に責めた。人の詩で気持ちがこんなにゴシャゴシャして涙したのは覚えてないので多分、初めてだ。アイツは捨て犬だった。退屈だったかもだけど、保健所に連れていかれるとかなく老衰したのは幸せだったのかな…。一生懸命考えるけど考えたくないのか、アイツの一生を考えるとブレーキを踏んだままみたいな感じだ。結論をあやふやにずっとして私は生きている。 話を反らして、しかし犬って凄いと思っていて、なんで種族も違う奴にそんなに尽くせるのって思う。下手すると家族や、友達とかよりも心に入ってくる。私はあなたのワン!をどういう意味なのかなんとなく、またはサッパリ分からないけど、あっちは察するんだもんね。それに私は嬉しくもあり、申し訳なさもあり、怖さもある。もしかして私の気持ちがあなたではなく、殆ど外に向いていたのにも気付いていたのかなと思ったりもする。とまぁ、こんな具合に私なりの批評を書きたくなってしまった「犬と暮らせば」。

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