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とある夢想家は宙を踏む

数年前、とある人に「今までの人生、すべて価値の無いものはない」と言いました。

挫折、苦悩、無意味、怠惰、息苦しさ、生きづらさ。

誰よりも苦労したとは思わない。誰かよりも不幸だったとは思わない。

それでも、この経験は、他の誰も制御できない、僕だけのものだ。

経験・体験・想い、出会いのすべては、価値あるもの。

僕は、それを人生の終わりまでに必ず証明すると。

肩書きも権威もある「とある人」は(初対面だったのですが)、それを馬鹿にしました。

経験も人生も浅く、特別な学歴も、何の肩書きもない人間が何を夢見がちなことを言っているのだ、と。

「素晴らしい」と。

その程度の器で、そんな大層な言葉がよく言えると。

人が少なかったからよかったのですが、少し何かが掛け違えていれば、あの言葉は完全に、ただ「僕」を中傷するだけの悪意そのものの刃物と化しました。

ご本人もさすがに正気に戻ってから思うことがあったのか、「悪いことをしちゃったかなぁ?」と、後に引き合わせた人に聞いてきたそうです。

この言葉は、当然目の前に突き付けられるべき事実です。だから、この人に非はないでしょう。

ただ、自分が口にした言葉に驚きました。

尊敬する南方熊楠先生の言葉に、「世界に不要のものなし」というものがあります。

どれほど微細な菌であろうと、小さなものが、積み重ねられたものが、大いなる世界を作り出している――。

その言葉を、無理やり人に当てはめるならば。

朝日に目を向ける一瞬・心で密かに思うこと・何気なく心から出てくる言葉・本を通して他者を知ること・出会いを通して他者を知ること……。

そういう多くのものが、「僕」という個人と、その周囲の世界を作りだしている。

それを「証明したい」と思っていたことに、びっくりしたのです。

・ ・ ・

コロナ禍になり、世界は大きくうねっている。

その中で、「夢想家の僕」にもまた、大きな変化が訪れました。

「無謀なことはするな」と、心の底から心配してくれた人の言葉を振り切って、僕は「宙を踏み」ました。

ちょうど、今日から1年前の事です。

当てもなく仕事をやめました。心配してくれたのは、その時の上司です。

しかし、数奇な縁で、文章が仕事になりました。「まさかそんな」と絶句したのは、僕自身です。

社内では、皆さんから「何でも屋」と呼ばれています。

Adobe、WEBデザイン交渉、人材管理、ライティング、取材……まだ、就職して半年、経験したことのない事柄に必死に噛り付きながら仕事をこなしています。

夢見がちな人間は、夢を見たまま終わる可能性もある。

夢に至る道筋が目の前に開けていても、それがどうなるかは全くわからない。

現実は、優しくない。

上記の「とある人」の言葉は、現実からの忠告に他なりません。

夢を見るな、現実を見ろ、お前の器は「そんなもの」だ。

けれど、彼らは知りません。

「世界に不要のものなし」

現実から浮遊する夢想家が、心にもつコンパスを心の底から信じた時、それに応えてくれるものは確かにあるのです。

まだこれから苦しむ道は見えますが、僕はそれを「証明」できました。

そうそう。

もう一つ、僕の好きな言葉を紹介しましょう。

「炎は黄金を証明し、苦難は勇者を証明する」

哲学者・セネカの言葉です。苦しみにある時、人は真価を試される。

多くの人が、本当に辛く大変な思いをします。僕自身だって、この先の道のりにおののいています。

避けられる苦しみからは逃げてください。そんなもの、耐える必要なんてありません。

しかし、本当に必要な苦難があったとき、その経験は、あなたの真価を証明します。

他の誰でもない、自分自身の中で証明され、あなた自身があなたを認める。

ただ、夢を見るために「豊潤な孤独」の中に生きて、28年を超えました。

今日から、29歳です。

積み重なったもの、経験、出会いに加え、次の一年は一体全体どうなるのか、まったく想像がつきません。

ただ、一つだけ言えるのは。

夢想家は地を踏まずに宙を踏み、面白がって生きていけることに気づきました。

現実は辛いことも多いけれど、夢と重なるこの世界は、楽しく、眩しく、そして、とびっきり美しいのです。



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