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真面目だからこその不真面目な行為

恋愛が絵にならなくなる年齢というものが有る気がしています。
同時に、恋愛が未だ絵にならない世代、というのもあると思います。
60才を直近に控えた今、完全に恋愛が絵にならない人間となり、過去の出来事を振り返ってみようと考えました。
今なら、それらを生臭くならずに書くことが出来そうだ・・ そう感じたから。
生臭くならない書き方、出来事を可視化させないで伝える文章を書けるかもしれないという期待です。

幾つかの出来事を一言で言い表わせば 今日のタイトルになる それが
#真面目な不真面目  というものに集約さました。

真面目な不真面目 

エビデンスと理由

例えば、何かの出来事が起きる時に必要になるものがあります。
それは、時に 小道具 であったり 言葉 であったり 時間だったり します。 それらがエビデンスとなり、一つの理由を完成させるのです。

最も単純な例で言えば、 酒という小道具で酔ってしまったからという理由を導いたり。終電と時間という材料を組み合わせ、帰れないという結論を導きます。これらはもはや屁理屈でしかないのですが、結論ありきの論文の様に、エビデンスを添えての仮説の証明を必要とするわけす。
何故理由が必要なのか? というところが、真面目に不真面目をしたいという行為なんだと感じます。
結局は合理的では無いのですが、自分が良くない行いと分類するものを、あえて望む場合には悪を正当化する屁理屈を求めるというものでしょう。
終電まで待つ、酔わないと出来ない けれど、いずれにしても望みを叶えるのであれば、そのプロセスを省略すべきなのですが、それでは合理的な代わりに自責の念が倍増して、それはそれで快適では無いわけで、真面目な性格を満たしつつ、不真面目な出来事を受け入れるには、回りくどい手続きが必要になると言うことでしょう。

入り口の先の出来事

入り口は、そんなもんだと思います。
入り口で終わる場合もあれば、この出来事は、水平方向へ広がる場合もあれば、深部へと浸潤していく場合もあります。水平方向とは、この良しとはしない出来事が、同じ相手と回を重ねて定例化するオルタネートに続くけれど、関係性は深まらないという形です。一方で、浸潤するという形式は、文字通りの深入りというもので、こちらは生活の中での依存度も深まり、本人の自覚とは比例しないで重篤化していく傾向があります。浸潤性のものに、罹患するのもまた、真面目だからだと私は考えます。
浸潤性のそれに、罹患したケースで、良しとしない関係でありながら相手への依存度がまして、何より相手に対して愛情を感じ、相手に対して誠実で居たいなんて考え始めたら、真面目な不真面目は破滅に進みます。

執着の対象

浸潤する関係の中にも様々なパターンがあります。
前出の様に、相手に対して執着するケース
相手ではなく、自分に執着するケース
大別すればこうなるけれど、そのケースは星の数ほどあるのです
いずれに執着しても、最後には破滅に近づくのですが、その破滅さえも
望んだ破滅であれば快楽なわけです。
破滅を伴う快楽と、考え方では破滅を伴わないそれよりも、遥かに刺激的なんだと思いますし。
破滅が後悔とならないケースもあるのです。
中には、その破滅自身が悦楽であり、何度も破滅を繰り返し、破滅に執着する人だった居るのかもしれません。
真面目だからここまで行ってしまうという現実

そそられるということ

ものの例えに、食べ物は腐る寸前が美味しいと言います
人間は、毒があるのを知っている食材にさえ安くないお金を払って、その美味しさを求めます。愛してくれる相手より、愛してもくれない相手が大切に思うことも。
そう、人間は時には理不尽を求め、理不尽にそそられるのです。

不都合な出来事

なぜ、そそられるのか 理由なんて無いのですが、真面目ゆえ そんな理不尽は許されないのです。だからこそ、理由を求めようとする。
たとえ、それが屁理屈だとしても。






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