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BATH ROOMでの衝動

バスルームを出て、半ば裸でこの文章を打っている。何故か、それは後で書こう。

#片岡義男 氏の 超短編集  #バラッド30曲で1冊     の中に
とてもシンプルな作品がある。
#交差点の横断歩道   と言うページ見開きに書かれた短い物語。     そして、この本には、この作品の前に  #いつもの小道具  という物語がある 。今、バスタブの中で読んでいた、私は、慌ててバスルームを出て、これをがむしゃらに打っている。

今回ばかりは先生と関係者の皆様に 先にお詫びしたい、私が勝手なことを書く事を、作者ならびに版元の意図を完璧にはき違えた考察かもしれないのだ・・いや、むしろ完璧に誤解だと自覚している。

そのうえで。

まず、書籍の収納純とは逆になるのだけれど、 【交差点を横断歩道】 この作品には一人の女性が登場する、彼女は西日の差し込む交差点の横断歩道を渡っている。その彼女の影が彼女の動きと、差し込む西日により移動する、時には彼女とユニゾンし、時には西日が彼女を照らす方向の変化で、影は彼女のが現実には辿らない場所までも、長く到達したり、横にずれて到達したりする。これは極めて自然な現象であるのだから、どうすることもできず自然のなせるものだ。けれど、作者は、この短い作品の中で、この影さえも、歩く彼女の責任の及ぶモノとして描かれている。少なくとも、私はそう感じた。それは、かなり無理を言っている様にも感じたのだけれど、作者なら、多分こんな風にいうのではないかと勝手に想像した。

彼女自身の行動ならまだしも、彼女の影まで彼女の管理物みたいに言うのは無理では無いかという主張があるけれど、彼女は極めて自由だ。だから、この日、この時間にここを通るいという選択は、彼女が極めてインテンショナルにこの状況を作ったのに他ならない。だから、影に関しても彼女の行動の一つに他ならないのだから、責任は持つべきだ。嫌なら、避けることも可能なのだから。

なぜそんなふうに思えるのか、そのことを、この作品の前作である【いつもの小道具】に登場する女性の行動からだ。この女性、 読んでもらえれば解ってもらえのだけれど、。恋人ではない男性に、電話で「夜景なんか見ない場所が良い」と場所まで指定して、一緒に酒を飲む。それは、自らが仕立てた一人芝居の舞台に幕を引くため。この女性が、幕を引くという意識を持っているかはわからない、けれど、彼女を良く知る、恋人でない男性は、そうしないと彼女の物語は終わらないと良く理解している。それは、特別な物語の終焉ではなくて、極めて日常的な物語だ。配役は、彼女は不動の主役だけれど、相手役は常に変わる。もはや、レギュラー番組の様だという事を、相手をする恋人ではない男性は知っている。もしかして、この男性でさせも、一度は相手役を演じたのかもしれない。その、彼女の、物語のテーマが自己愛であり、その自己愛は、影までも愛するだろうという着想にたてるのだ。少なくとも私自身は。

この登場人物の二人の女性は、もちろん別人だろうけれど、女性も男性もなく、ある程度、自分を愛して自分と言うキャラクターを演じて生きているのならば、偶然が作る自分自身の影にも、時には責任をもつことも、良いのではないだろうか。

冒頭に戻ることに。

私は、今日は休日で、夕方というか午後の半ばの時間帯から、ウォッカを飲んでいた、ウォッカをトニックウォーターで割って。ウォッカにはこだわりはなく、適当なものだ、ジンは少しこだわるのが、自分ながら面白い。かなり飲んだ、状況でバスタブに湯を張った。この本を、携えバスタブに浸かる。健康面では、良いわけがないし。1作目を読んんで、2作目を読んで、身体を洗い、シャンプーを始めた。 2作目のことが気になりだした。その答えを一作目に見つけた。

そうしたら、無性に書きたくなった。

慌てて、風呂をあがり、思いの中身を この #note にと

それも、頭にあるまま、

けれども、 本当に書きたかった内容の4割も書き写せていない

やはり、防水のPCか、タブレットが私には必要なんだ。

ちなみに、その前の #切り花  もいい 甘いハードボイルドで

いい


作品にご興味があれば #片岡義男.COM さん

をたずねられるのも良いと思います。

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