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色とりどり

【人は、「自分でやってみた事」しか、分かりませんからね(*^^*)】

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「メモしたかな」と思ってたけど、してなかったみたい。

先日、脳内にバーッと浮かんだ映像があるだけで。その時その映像に「そういう事かな…」と思って一瞬視てた、というだけのことを書き出してみます。

やっぱり「層」というものがあって。

それは別に、私達のこの目にしっかりと明らかな線として見えている訳じゃないけども、だけど確実に分かれているものがあって。

例えは何でもいい、何某かの条件・前提とか、目的とか(?)何かの共通でそれらが分かれていて。それは今まではやっぱり「それで良かったのだろう」と思って視えた。


それがまた、何某かの理由によって、そう言う訳にはいかない、すべてのそれらの空間に「共通する様な」事象が起きて、その今までの区分けを「別個のもの」としてそのままにしておけるような状態(状況)じゃないほど、境が曖昧になる、境が崩れる…、というようなことを経験することになる。

私はこういう見方(視え方)が普通だから、この様な表現になってしまうけど、これは十分に「現実世界」でひと言でいう、天変地異みたいな表現でいう事が可能と思う。

「表側」から見ても、他人事でなく、誰もに関わってくる”そういう事”といったら、「大きな出来事」しかないので。


これはこれからそうなるという話でなく、そういう事ってシレ~ッと「普通に起きてるじゃないですか?」という話であって、今ここから騒ぎ立てることではなくて。

で、その脳内に視えたことから、考えに繋がっていく訳だけども、それは「多様性」というものの、現在真っ只中という事なんだろう…と思っていて。

もちろん、完全に切替の完了などが、この先に起きるとは思えず、少なくとも簡単にはそんな事は「終わらない」ことで、それが結局「人がくり返し続けるコト」なんだと軽く感じたりもして。


新しい時代になるという事は、その”中心”が入れ替わるという事と思う。世代、価値観、細かくしていけばテクノロジーなど様々があると思うけども。

これと「重ねて」考えがちで、だから「結局同じことをくり返す」と現時点では感じてしまうのだけども、現代の考え方の中心帯は明らかに今までとは変わるもので、それは当たり前の事なんだけども。

それは現代の価値観が「○○という考え方」だから、それをできる限り取り入れる、という事は自然な流れだと思うけども、今までの「それ」を捨て、ないものにするのとは全く違うという風に、私は考えているから。


時代が変わって、それに乗って行くスキルは大切だと思うし、その様にしなければ「乗り遅れる」かの様な風潮に抗うことを勧めている訳ではない話だけども、決してそうでなければならないわけじゃない、という事はいつも思っていて。

そしていつも同時に、「なぜそんなに、それらにならなければいけないのか…」と考えてしまう。

表面で使うスキルとして動かしていい部分と、その奥側、内側へ入った動かしてはいけない部分と。それらは別のものであって、そこから外の世界に合わせてしまうこととは異なる話。

私が20年前にそれをやって「自分を見失った」ことは先日も書いた通り。

そうしても平気な人もいるだろうけども、他者を考えサポートに入りたいという様なスタンスであれば余計に傾け過ぎないことが大切な様に思う。相手を思い、やり易さを用意することは大切なのと同時に、それは「その環境でしか体験していない」ことを与えているという事。

シチュエーションは様々あり、考えに考え尽くすことにも限界があり、何度もそうしているうちに「自分の出来ること・範囲の限界を知る」ことになる。

それを知った時、アレコレ考えるよりも、「こちらのスタンスを決めてしまう」という軸になってあげた方が、他者(相手)はその状況から学ぶ。

私たちが何かをサポートしようとする時、他者の出来る範囲を狭めていないか、という事は考えた方が良いと思っている。もし自分が「これだけの環境・状況を整えてあげられた」と思えるのであれば、同時にその分、その他者から”身に付くこと”を奪った、という風に見てもいい。

恐らく、今私がこれを書いているのは、過去の私の経験から浮き上がることと、現在、主人との関係性を観ていて、私自身が今「主人に返していっている事(切り離している事)」が頭にあるからだと思う。

一時的にサポートする環境が必要だったとしても、それは永遠ではないこと。相手の様子、その変化を見てこちらのスタンスは変えなければならないこと。そんな事を感じて、ここに流れていったのだと思います(*^^*)

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『人って、悩みを抱えて生きてるんだね…』
「悩みを抱えていない人なんて、いないでしょ」

内容は知らないけども、主人は「魂」の話を今でも信じているという。それ自体がどうこうの話でなく、主人が色々な話をする中で、抱えている気持ちがポロポロと表れるのを聴いていた。

『その葛藤がある、ということは、現実世界に身を置いてるということだよね。スピリチュアルな空間だったら苦しくないし、そこに葛藤なんてないはずだから(笑)だけど”生きづらい”と感じるということは、今、現実世界の方が色濃くなっているということだからね』

”なんで生まれて、生きて、死んでくの?”

主人が言った。別に望んでないと。

この手の深い問いを今までにも他で何度か目にした事があるけども、私はその様に感じたことがなくて・・・、これだけ人に関心を置いているのに。

”私は、生きていることを前提に物事を考えている”

その時そう思った。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!