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現実離れのはなし

膨張と収縮。

実際には”収縮”という状態じゃないんだけど、物事って、こうして繰り返す事によって「膨張(拡大)」していくんだな、と良く思う。

膨張し続けるのではなく、3歩進んで2歩下がるみたいな少しずつの歩み。実際にはこのように”直線的”な動きじゃなくて、「全体として同時にこういう事が起きている」という感じがする。


少し前から様々な事を上記のイメージで捉えているのだけども。そのアタマの中を表現(文字化)すると、なんとも平面的な(*‘∀‘)

私は物事をイメージでとらえる事が多く、言葉にする前にはイメージ・映像(画像)が頭にある。それに言葉を選んでつけて”表現”というカタチにするから時に、言葉は見つからない。文字の限界。


アタマの中を外に出す時、中に入れる為に脳内でイメージ化する時。どちらも”抽象的”な捉え方になるので、私は詳細を説明する事が出来ない、というデメリットも理解している。

そもそも詳細を覚えようという意思がないので、この頭の使い方が大きく変わる訳はない(*^^*) 意識した事でなく、慣れ親しんだ自然な脳の使われ方なので、私は気に入っている。。。これがきっとアホっぽい所。


「普通考えれば…」という事に「思考しない」ので、逆にメリットだってある。余計な所にアレコレ思考してしまうのが人だから。私は関心のあること以外はあまりアレコレしないで済んでいる。

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上記と表向きは繋がっていないんだけど、私の中(脳裏)ではもわ~っと繋がっているので書いていきます。

今朝は、見ている最中では”憶えている意識”があったけど、起きたら内容は全く出てこなかった夢。見ていた事は確か。頭の中がしっかりと整理されて行ったんでしょう。

”朝のヌボータイム”で、これだけ書き留めた。

あっち(夢)で充実を感じる時がある(感想だけある)

メモを見て今ここに自分で書いて、「『あった』じゃなくて『ある』なの?」と、”今”にいる私は直したくなるけども、そのまま。ここにも日常の”意識・脳の状態と違う”という事は分かる。起き掛けって、”起きている”と自分が思っているだけで、脳はきちんと覚醒していない。


【寝ている時(夢)の満足感・幸福感】

起きた時に、満たされた『感覚』だけがある(残っている)。

今まで、何度かそういう事を経験しているけども、「本来人は、実は”これだけ”で良いんじゃないか」、と思っている。

多分、”人は”と表現しているけども、詳細を書くなら、【人は、霊・魂・霊止(ヒト)】の事。

起きた時の充実感、これで十分な気がする。根拠などなくても感情・情緒的実感は得られている。これを、私達はこの現実世界で懸命に求めて「やろう」としてきた訳だから。

成った体で、その時の感情を…。

現実的(物質的)な何かは、必要なモノ・コトではなくて、その目指すモノを感じる為の手段。それがいつの間に手段をゴールのようにしてきてしまった。

社会にとって必要な事ではあるかもしれないけれど、それを目指すが故に不平不満、苦しくなるなら、大元に戻ってみても良いのかな、、、なんて思いましたよ(*^^*)


物質的な事も喜び・幸せ、”ナニ”もなくても十分幸せ。こんな境地、ホントにありますよ。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!