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研磨で鋭くなる

4/17メモ

自分を露わにする事は、「とても恐い事」と思った。

”そう出来ている”と思える部分は既に「受け容れてもらえる」と、自分が知っている事(のみ)。

そうでなく、新たな自分をヒョーゲンさせる時、必ず社会(世界)の摩擦をどこかで感じ、できる事なら、”そうでない事”を望む。

そんな自分の中の摩擦と向き合う事になる。

・・・

昨日目にした時に保存しておいた以下のツイート内容。

中々難しいけど、凄い核心とも思う。

そして、それを貫ける「自分」は。
時に「摩擦」を感じる事もあるだろう・・・、とも思う(*^^*)


少し「時」が、”どっちなのか”分からなくなった主人との会話です(笑)

過去に主人と話していると、「この人は周回遅れなんかではなくて、私より先に走っているんじゃないか…?」と感じる事があった。

今では、「共に」という感覚になったものの、(過去の)私には、色んな経験をしてきた”自負”があって「Yさんよりもやって来たんだから!」みたいな思いを普通に持っていた。


それが「共に」に変わった理由に一応触れると、主人の歩みと私の歩み方が「同じである必要がない」と段々気づいて行った事と、話の通じない主人に話す事もなかった内容が、ポツンポツンと主人の口から出るようになっていた事。

それらが重なって来た時に、「入口が違うけど、同じ方へ向かっている」と確信した事によるもの。

それぞれの関心の高いジャンルから入った別々の世界での学びでも、結局「人」というものの大きな括りで観た時に、「同じ」で結べることが明らかだったから。

そこから私と主人は違うと認めながら、同じ方へ進んでいる…というもの。経路は違くても、「必要なフラグは取る」という表現を過去にはした。

・・・

重ねwordで「何もしない」という文言が集まった。

それを目にした時、即座に主人のよく言っていた事を思い出す。「何もしないで生きたい」「植物みたいに…」などの在り方だった。

勿論、何もしないと言ったって、呼吸はする、食べる、排泄はする、眠る…生きる事に必要な事は行われる訳で。また本人も分かっていて、「”何もしない”をする」と言っている。


その話を思い出した時、「先に行っている」という言葉が脳内で迷子になった。

ちょっと待って、ちょっと待って…?

『Yさんは、”先端”の意味で先に行っているのか、その在り方というのは、進化したのが「人」と考えるなら、退行という本質に返った話になる訳で…どっちだ?』


主人との会話中に、ジェスチャーを交えながらそんな話をしたので、主人は無言になってしまったのだけども、私の中ではそれが”先端”という風には言えない、という疑問になってしまった。

先に行っている事が優れているでも正解でもないので、その是非なんかではなくて、本当に純粋に時間の矢印を、現在という時点からどちらへ向けるものなのかが分からなくなったもの。

「時間」という物差しではかるもの(こと)じゃない、という事が分かる。

先端とか退行という言葉が必然的に、時間を含んだ意味として存在してしまっているけども、その”状態”を考えた時、それは実は「時間」ではない、という事を”脳内迷子”によって、少し感じられたように思う。


人の本質的存在、「在り方」というのか、仮にそうだとして「人の進化」を観た時に、主人のそれは未来という先端より、過去へ向かう昔の方が色濃く。更にここで表現として使う「未来・過去」という直線軸もおかしい…という思いがした。

循環している。大きくは「人」という繋がりでずっとずっととてつもない大きさで循環しているその状態の、現時点という”現在”ポイント。


空間が個人の脳内から出てしまっている自・他の区分けもない「人」という括り方を借りて、見えてくる循環。”大きく”されて視える世界には、先端も何も、とても小さくて取るに足らない様にも感じた。


主人との会話の最中は、上記の様にそこまで脳内に描かれたわけではなくて、「矢印の向きが分からなくなった」という程度のものだったのだけども、後にこうしてその時の事を”思い出しながら”書いて行くと、上記の様な文言が付いた、というもの。

普段のアタマで、こんな事を真剣に考える事は私は多分なく(今後は分からないけれど)、だけど何かのきっかけでそこから様々へ繋がって行く事はある。


そしてそれは”スタート地点”で、かつての様に「気づいた=ゴールではない」という事は知っている。

気づき。
やっとそこから始まって行く。

終点としないで始点とする捉え方が、また遠い先の方からここへ何かを持って来る。

いや…。
向こうから”来る”でも、こちらから”向かう”でも何でも私はよくて。それはアタマの”状態”によって、”自分の居場所”によってその向きは変わると感じるものだと思うから(*^^*)

”括れる”のは、「人」ではなくて、「霊」という部分なのかもしれないね。言葉で現わす事の限界は、自分のヒョーゲンがなされない事による”表現ができない”ものもあるのかもしれない…。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!