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昔の私、今の私

主人が早帰りで、クダラナイ会話をしていた。

主人がたまにする”トシちゃん”の物まね。

「こんにちは、タ~ラトシヒコです、ハハハ…」

これを私が真似させてもらって、

「こんにちは、タ~タ~タ…」

これを発した時に「あっ。」と解った気がした。文字は3つしか言っていないけど、この”タ”一つに沢山の”音”を込めている。

「全てを”言葉”にしなくても、音で伝わるという事だ…」

そう思った。

・・・もちろん主人には

「ちょっと何言ってるかわかんない(-_-メ)」

と言われたけども。そして、

「”ハハハ”まで入れてトシちゃんだからね(*'ω'*)」

と念押しされました(笑)

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きっと私が「静か」が好きで落ち着くのは、幼い頃の経験から。

「静か」な環境が好きな人は世の中にたくさんいると思うけど、その理由は様々。

私は静かに、だだ静かに眠りたかっただけ。

これはnote以前には触れたことがあるのだけども、それはやっぱり子供の頃の体験から。


両親が離婚してから私は姉と共に、父方の祖父母に育てられた。

普段に口うるさく何かを言われるでもなく、特におじいちゃんは、父が言うには「仏様のよう…」と表現するくらい、穏やかな人だった…仏さまが「どうである」とかは、当時の私が知るわけもないけども。

耳が遠くて聞こえないから、いつもニコニコしていた。相手が何を言ってるか聞こえなければ、笑っているのが確かに無難だ(*^^*)


”どこにいた人”、とかは知らないけど、一緒に生活する事は確からしい…。そんなあまり接点のない酒乱の伯父との生活は始まる。

どのくらい経ってからとかは全く憶えていないけど、夜中に帰宅して隣に寝ている祖母を足で押しながら、「お金出して、金ちょーだい、金出せよ…」。

静かに言う時もあれば、段々エスカレートして声が大きくなり、終いに祖父も起きて…。そんな夜の記憶がある。


昔の家は引き戸で、その開く音にとても敏感になった。怖くて目をしっかり瞑って寝たふりをする程に、寝ていない事はバレバレで、瞼は小刻みに震える。

毎晩ではなかったと思う。でも飲めば酔っぱらって帰宅して、大きな声を出して祖母に突っ掛かった…そんな印象を持っている。

そんな事を何もない日常で思い出す事もなかったのだけども、自分を振り返る経過の中で、「何で、うるさいのが嫌いなのかな?静かが良いのかな?」と探った時、記憶はそこに辿り着いた。

「あれが嫌だったな、すごく怖かったな…」

その事を身体が憶えているんだろう、と私は思った。


当然今、その事に恐怖も何も感じないけれど、「感覚」としては残っているんだろうな、と度々感じる。

夕方など眠っていて、ワン達が急に何かに反応して激しく吠えまくる時など、もの凄く「ビクッ」として、目が覚める時があった。今では同じ状況でも、心臓がドキッとする事はなく、「うるさいなぁ…」と結構遠い意識でいられるようになった。

ベースの欲求が担保されなければ、その上のものを満たしても、それは脆く、安心と安全の中にあって、何でもない事が「幸せ」と思う事が出来るように思います。

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伯父は私が小6の頃、少し「?」な交通事故で亡くなり、私に平穏はやって来た。酔っていない伯父はとても優しく、柔道のやり方を少し教えてもらった事がある。

その通りに技をかけてヨロつかせてやり、私はどこかで「小さいなんて関係ない」と、得意気になっていたように思う。

昔恐かった事は、今の自分ならどうだろうか?と、たまに自分に問うても良いのかもね。


今日は、いつだかの下書きを仕上げました(*^^)v


「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!