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どこが元になっているのか

眠っている時の感覚、”感じ”というのは本当におもしろい…。
身体を”感じている”とでも言うのか、そんな風に感じた。

夕方潰れた一昨日のこと。ラジオを録って間もなく横になった。お腹・腰が痛いのだけど、その、「気が遠い」お陰で目を瞑ればすぐに眠りへ入った。

起きがけ。深い眠りが一段落して意識が少し”こっち”に戻るからだろうと私は思っているその状態で、お腹のキツさをしっかりと感じた。

両手を、それぞれの足の付け根の上の、下腹部にただ置いた。またすぐに眠ってしまっている状態…。だけど熱くて、その温度で内側の目が開く。

⦅熱い…、お腹が凄く熱い。お腹は熱くはないんだけど、そこで感じてる⦆

そんな事をお腹で感じていた。
だからそこからまた内側で思う、

⦅この手が熱いとは全然思わないし、そう感じない。だけどこの手を乗せている所ですごい熱さを感じてる…、この手はまったく熱くない…⦆

目を覚まして起きるまでにこれがあと、1~2度あって、その感覚を確実に確かめていた。

起きる前の”ラッキー”とは、この感覚を感じたこと。この日の夕寝は、昨日のnoteを書いた後のことで、その内容が私の頭に残り、そこと引っかけた意識があることを眠りの中の意識上で感じていた。


触れている手とお腹(下腹部)。
お腹に手を置いた時、私の手はそこに温度を感じていない。だけどすぐに眠りに就いてその後お腹”の熱さで意識上目を覚ます。その熱さはお腹で感じているだけで、お腹から意識を手に移してみても、この手を相変わらず熱いと思っていない、おもしろいと思った。

確かに熱さを持っているのは「この手」だ。だけどこの手からそれを直接に感じられない。それが置きっ放しにされたお腹からはその温度を感じることが確実に出来ている…、そう思っていた。

そしてその時、「でもこの手を熱いと感じる時って…、熱のある時はそう感じる」と思っていた。その後まもなく目を開けて”起きる”のだけど。


目を開けて起きる前の”予習”があるので、それがしっかり目に意識側にあると(おかれた状態にあると)、”憶えてなくちゃ”という事もなく放っておいても後で「そこから」考えていく普通。延長という感覚もなく、別意識の隔たりという事も感じない、”連なり”のまま考えていく。

接触している”両方”がある。お腹で感じている”熱”があってもそれは、お腹から発している熱だとは、私は思わなかった。同じように手に意識をやってもそのとても高温の熱さを感じなかったという事は、”熱はそこにある”と私は感じた。

”違う”ときに”明らか”が分かる。同じではやはり分からない、と私は感じている。

・・・

これは↑、流れを見ると、夕寝に入る前の覚醒時の意識と、身体はまだ一応寝ている状態のきちんと起きていない状態の意識と、しっかりと起きた後のまた覚醒時とずっと流れている意識を、普段より多めに分かりやすく掴めているように思う。

普段の意識/無意識という状態は、殆どが言葉の意味で大きく隔たりを抱えている。実際に人の意識は眠っているような状態では起床時と異なり明確な意識状態でなく、かなり曖昧なものになる。

上記の流れでは、かなり覚醒時の意識に近い状態でもあるのだけど、身体は”寝ている状態”であって、頭の中も覚醒時よりはまったく静かな状態。とすると、完全ではないにしても、流れとしては十分掴めるのではないか、という感じ。


意識上、自然と遮られてしまう何かとナニカ。

寝ているというテイの状態。
起きている意識状態。

見える身体的な状態が変わっているだけで、その意識の状態は、全ての状態をこの自分自身が見ることが出来ない(把握できない)というだけで、いつもこの自分の中で起こり続けているブラックボックス。

眠りによって自然と”分けられる”状態があるだけで、その状態に言葉が付いて説明されているだけとすれば、再び大きなトコロを照らしてみる事に意味はある様に思う。

この私達の”外の目”に明るさがあれば、そこは照らせるのかもしれない。

(覚醒時の中の”意識・無意識”とは、場所が違う話)


追)
昨日の記事で、頭上のワンコを”頭でゆっくり少し押し込んだ”としている所。「そちらからのプレッシャーを感じ…」としているのは、勿論ワンコが押し返してきた訳じゃなく、ただそこにいる”接触の状態”をそう表現している。

押し込まれなくてもそこに触れるだけでそれは十分なんだよね。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!