土用に入ります
相変わらず「いつもと違う事」は続いている。
”現実”から押し込まれてくる様に現れたそれらは、普段は意識に上がって来ない所に形にもならずにそこにあったもので。
普段の無意識で過ごせていた長い間、そこに目を向けることなく心地よく過ごしていられた状態に、不意にヒョッコリ事象が現れてくると、意識を動かさなければならなくなるので「面倒がクサイ」のね。
そして私が知っていることならば良いけども、エコキュートなど少し大きめの電化製品のことなど私はよく知らないわけで。だから最初に主人に電話を入れてもらっている。結果は主人が詳細を伝える事もなく”自宅へ”となり、状況を知るわたしがそれを言うだけなんだけど…。
この「言うだけ」自体も何の問題もなくて。ただ困るのは私はそこに見えた状況・状態を伝えているだけなので、詳細などに応えられるのは主人というところ。取りあえず分からないこともなく、そして時間がかかると判った修理は、結局日曜の夜になったという結果なんだけども。
連絡受付時間や主人の連絡可能な時間のチグハグなどから私が間に入っているだけの話。出来る人(知識的に知ってる人)・現場に居る人・対応可能な人…、うまく合う条件ばかりじゃないからね(笑)
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さて、ごちゃごちゃと週初めからあり、(気学上の)繁忙期を感じながら、土用突入前の準備などでやはり少し気忙しかった。昨日は梅雨明け発表があり、そして堂々と暑い夏がやってきた、すでに十分暑さを連れてきているが…。
あれこれのエピソードがあった翌朝には、スルスル~っと出たものをメモしていたのだけども、いつもそうなのだけど、”こういう流れ”が本当におもしろいと思うし、また更に現実という世界と、普段自分がいる世界という場所の、”異なる空間”を痛感させられた。
こういう時の”言葉たち”は順不同で、あちこちからバラバラにやってくるので、読み返すと「あ、こんな所からはじまったか…」という他人事の距離がすでに生まれている。メモの順で言えば、衝撃の強さの順なのだろう。
これが私にとって、一番の衝撃だったんだね…
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「そしてこの時、”言葉(意味)の方が違う”とはっきりと分かる」
無意識という外界、外の世界。それは「現実」という私が思っているその世界とはまったく違うと思った。
もっとはっきりと、しっかりと現実があると思っていた―――のだけど。それは表現を見つけてみると、押し出された表現では”無意識”という言葉だった。
(考えている(思っている)ことと全然違う…)
このたったこんな事から、「自分がしっかり思考の世界にいた事」「現実と思っているリアルさえ”自分の世界”だという事」が浮かんだ。そして今思考に入った状態だから、”こういう捉え方をする”というのはいつも切っても切れない関係としてある事は同時に認めている。
さらにこうして書くことで、”表”からこれを見て(読んで)、「表現自体は今までも書いている」と自覚はできる。
とするとこれもやはり「”いつもと違う”のはこの内側、”私”の中だ」という事に辿り着く。
外側からでは内面の層を直接見ることはできない。恐らくそれらを繋ぐ文脈、全体から沁み出してやっと分かる程度だろうという感じ。
言葉を使った表現は、外で統一されて使われるものだけど、その奥は人々によって異なる空間が続いている。
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・・・間は一つのメモだけども、元々はエピソードがあり、その事を自分の中で俯瞰しだし、それら全体を観て続いてきた“話し(メモ)”なので、唐突に始まっている。
この時は、今まで”現実”と疑うことなくそう表現してきたその世界から受け取る事象を、「無意識」だなんて解釈で結ばれたことがなかったことを、でもこの時はそう捉えていたし、その事から「言葉(意味)の方が違う」という解釈にまるで変わっていたものだった。
”意識”への感覚(自覚)が逆転するから、言葉(意味)での理解だけでは難しい(混乱が生じる)。
以下別メモ
「そうか…」と肚に落ちるのは、「自分の中の配線が」頭の中でスッキリした時だよね、クリアになって視える状態になるから”分かる”。
そうしてまた外を見て、何かが自分の中でひとつ、また一つと落ちて、私の世界(アタマ)と外は紐づいていると分かってくる。
【結ばないと”私”は分からない(理解できない)】
フォーカスはいつも必ず、”自分の目(頭)”からだということ。見る動作のみならず、理解するというこの行いにおいてもまた同じことで。後者の方が最も重要なように感じている。
それによって「自分のフィルターを通す」という表現で示されたりもするのだけど…、または”メガネ”という表現だったり…。
自分仕様のもので吸い込む質、量を決めて、その絞られたモノがこの中で照合される、呑み込む。
掃除や交換が必要なのは、この内側に存在する”私”のためだね。
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(太字)
内容的には同じことを言っているのだけど、頭の中では全く別のことを描いている状態だからおもしろいと思う。
この事が後で何らかをきっかけにして落ちた=繋がった時、自分の中で衝撃となる「こういう事か」と。
その出力している時というのは、何かに焦点を当てている状態で、その焦点が変わればたとえ表現している内容が”同様”だったとしても、使われ方の意味が異なり、それはこの自分の頭の中でさえ位置づけが違うというもの。だから結ばれていない。
それを出力したメモなどにより、自分が読み取る事で「別になっている」と認識できる状態になる。
焦点が違うだけで、世界はまったく違う物と結ばれている。
因みに―――
「水」に焦点が当たったあとは「風」。そういえば水以前に”風”には触れたんだな。昨日の”気流パネル”という言葉を使って風に意識が向いて思い出した。”火”にも触れた事も思い出す。
そして、水・風・火ときたら私は詳しくは知らないけど「四大」が思い出された。詳しいことは調べれば沢山入手できるので、必要ならば深掘りするけども、さわりだけメモした。
「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!