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どこに触れて処理しているか

(ラジオ収録の後にこれを書いている流れ)

今朝アップのラジオ…、ほんとに初めは説明欄にある内容でいつもの様にノラリクラリと話し終えていた。

それがどこか、何か、自分自身にかなり引っかかっていたんだしょうね。そんな自覚はまったくなく、だけどかなり引っかかっている時ほど”スルーしている”状態があるかもしれない、そう思った。

はっきりとした自覚はなくても、感覚だけはしっかりと残っているので、結局は録り直したというものなんだけど―――

ラジオ説明欄、ハッシュタグに入れた通り、私はこの時なぜか、もう何年も気を向けていないその”石”に手を伸ばし、手で囲むように包むようにしばらく触れていた。

何かをビビビッと感じるわけでもなく、ただしばらくそうした後に元の位置へ戻し…、そして間もなく「あぁ、そうか…」と、状態を拾ったのでその内容で録り直したのだけども。

直接関係ないこと、安直には結べないそれって、一体どんな正体でしょうかね(笑)私は「○○したから※※になった」という考え方はある時から気嫌っているのだけども、「何か」を挟むことでそれまでの状態がリリースされる、違う結びが生まれる、そんな事は起きているように思う。


徹底して考え詰めることは大事だと思う反面、それにハマってしまう事がある事は、自身の体験からたくさん承知しているのだけど、だからそこから離れる・放すというアイテムを手に入れているのだけども。

これがけっこう不意な所からやってくると驚く。この一連、連なりに因果があったかどうかよりも、”解放された”という事実・手応えに人は助けられ安心を得ている。(別の頭で捉えるラインは持っていることは大事と私は思っている)


[時、その長さ]

それを”時”と表すかどうかの真偽は別として、仮にその様に前提して書いていく。

余裕って「持っている時の長さ」だと思っている。すべてそう言ってしまえる存在だと思う。

・どこまで伸ばしていくかという”ここから”延ばす向きでも
・”初めから”その域(空間)まで広げて確保した状態からでも

どちらも余裕がそこにあると思っている。

向こうからこっちを観れる時、確実に余裕が保たれている状態と言える。これは主人と会話しているとよく感じる。

単純に人との距離(感)という表現が一般的だと思うし、私もその目線で捉えていたけども、主人との会話で現れる私と、他者との間にある私とでは明らかに”ま”の取り方が違うだろう…と思ったことによる。

短縮、縮めたい、もう…それくらい分かるでしょ…、そんな思いが出るのは主人と会話をする時。


全く言い方を変えると、「きちんと”私”が出る」状態があり、「私」を主に観る(考える)向きで対応する状態がある、ということ。これは、「…あぁ、こういう事か」とか「そうれはどういう事だ…?」という相手の中に入る観測モードにならない。

意識を切り替えないと、そこへ入らずに「私」を主にした目線のままに話したい、と確実に思っている。だから一々向こうの”主”を挟まれると「今そんな事は言っていない」と、進まなさに腹が立つ。

余裕って引き伸ばすこと。引き伸ばせることを「余裕がある」というんだよね。それはそうでない状態の自分を観察するとすぐ分かる。自分のペースを主にしたいのは、何某かが不足しているからと言える。

力の不足、余裕はまた”力”でもある。

・・・

これは25日のメモだったんだけど。これを目にしてやっぱり「ここ(から)も繋がってたか…」と感じた。

冒頭に触れているラジオの元内容は、この具体的なことは頭に全くなかったけども(例のごとく”忘れて”いる)、この状態も含まれた、ガッツリ重ねた内容が話されていたものだから。

(これで少し観えてきた)

これも何度か触れているけども、消化しなかったモノ(コト)は、勝手になくならない。そこに事実”あった”のに、自分に”見つかっている”のに、閉じてしまおうとしても、無意識に場を変え、タイミングを変えてきちんと「こんにちはっ!」とやってくる。

ラジオは消されても、その一部はこうして無意識にこちら側で取り上げられていて、結局この”私”によって見ることになっている(笑)


で。
”観えてきた”としたのは、今朝のラジオ内容で話している部分と重なるけども、「どこで捉えているか」という事の、とてつもない重要性のこと。これだけ自覚なく無意識に行われ、この中で処理されるこの”区域”というものは、その先へ続く”出力”に大いに関わっているということ、連なりであるという事。

自分の中でどの次元(空間)で観ているか・処理されているかというのは、以前書いた「どこのポッケに入れる?」という軽い話を超えて、超大きな仕組みなのだと分かった・・・。

”オモテ”という一般的な場所で(あまり)記憶されずに、「大元(ウラ側)で活用できる記録になっている」というこの感じをクリアに観ることができたと思った。(オモテウラは表現上使ったけども、これは内容的にはひっくり返ることは普通にあるもの)

どこを「主に」使って処理しているかによって、それ以降の引き出され方も違う…という事が言えると感じた。

全てにお膳立てがあって、あまり余計なことをしなければクリーンヒット。私たちは何かが怖いから手を入れ過ぎて酷くしてしまうことが多いものね。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!