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焦点との重なりで意識する

コトが起きないと、その経緯(流れ)から何かを拾うことができない。観察の対象として現れるには、いつもと違うこととして目につかなければならない…でないといつまでもそれは”無意識”領域のまま。

本当は何も分かれてなんかいない、ただ自分の中で無自覚(無意識)でその様なことになっている、というだけ。その”ある”のに”ない”かの様にそこにあった全体の柄の一部が浮き彫りになって”認識”させられる、”私”によってそこにあることが「自覚」される。

こうしてこちら側の”私”は意識という焦点を当て、それについてあれこれできる状態となる。

流れの中に拾えるものが出てくる。


「自分の動作が無意識側へ戻っている」とか、「身体は無意識へ落とされていく」などのような表現は…。

「意識」というものが身体にある状態か(客観)、”私”が握っている状態か(主観)、という所で観ることが可能と思った。そして両方を観て、”意識がある”のではなくその場への移動がある、それによってその言葉がある(になる)という表現ができる。

確かに「”意識のある状態”とはこの事」という説明できるものがあるけども、内側から観ていると、身体側にある/”私”側にある、などの観測によって”移動”するものと感じた。それが(仮に)意識というもので、”私”が把握できていないものはすべて無意識という名に変わる。

(↑ここは書くと自分で読み取る段階でも、”ちょっと違うんだよな…”という表現になっている)

言葉から意味を外すと、その様に言うことができる。

どちらが動いているか、どちらに”主”を置いているかなどは常に自然と発生すること。その対比から言葉は用いられることは多い。また、意識・無意識の話に触れていて(頭に描いていて)感じたのは、また「向き」のこと。どうしてもこの事は必ず見え出す。

”現場”というリアルとピッタリ接する時というのは、主としての目線は現場にあり、そこから”私”側への取り込みがなされる向きがある。もちろん経験済みのリアルでの目線は”私”側から(→)で再生可能。

リアルに接地した状態は、通常の範囲で回せる”私”側からの目線と逆になり、それを受け取っての処理という働きがあり、脳にとっては大分疲労する状態なのだと思う。

身体だけでなく、頭の中も通常の動きから離れれば忙しくなる。かなり眠気に襲われているのも、そんなことがあるだろうと思っている。

・・・

殆どメモからだけども、動作自体は特に困難なことばかりが起きるという事でもなく、ただだけど、その”処理(回復&構築)”にかなりのエネルギーを食っている状態がある事は感じることはできる。

無意識という習慣にするまでの、その状態に築き上げこちらから手放すまでのその間の処理は、労力のいる状態が発生するように思う。

更に少し大きく遡ってみると、特に今年に入ってから「外からこちらの向き←で対処・対応する」という意識状態はかなり続いていて。それだからこそ、しっかり”認識”させられる状態になっていて。”私”側からいつもの様にやろうとすると、そうはいかない事も多く経験してきている。


それはいつだかも自覚に上げた、「極端、大きな偏りによりバランスを取ろうと仕組みが働く」という事に、長い時間軸で観て当てはめている。これは自分がバランスを取ろうとしなくても、それが起きる(起こる)ならば、その状態にある・あったと、事象からそのまま学ぶしかない。

”私”がそう思っている範囲で仮にバランスがとられているとしても、無意識を含めた時のそれはバランスしているとはまず言えない。特にその”無意識側”とのことで起きるのだから、受け容れる…静かにこなしていくしかない。

これのおもしろい所は、例えば初めてだったりよく分からない状態でこなす事がメインの時には、ただただ辛く苦しいものだけども、少し”仕組み”を「そういうこと?」と認識しだすと、興味に変わる部分がある。


恐らく何度も経験している人は、それが分かるので向きをすぐに「←」外から”私”に切り替えた対処にしている、反発抵抗する程にそれによってキツさが増すから…(反発する行いがそう感じる程度を高めるの意としておく)。

仮に慣れたとしても、初めての事に接している時はキツイのは同じことで、差があるのは、しなやかさだけだと思う。柔らかくないと曲がるものも曲がらない(笑)

一昨日、梅宮アンナさんの記事を読んだ。そういう状況での彼女の言葉が、在り方にまっすぐで凄く美しいと感じた。

「新しい自分が始まる」

そう自身を言い表していた事にも凄さを深く感じた。不安も心配もしっかり抱えている、だけど環境を一つも悪く言っていない。そんな中で新たな自分が生まれている・生まれていくのを素直に表現している事が、心から素晴らしいと思った。

変化の月、人によって普段と異なるレベルで、かなりの深部が変わって行くことを表している。


この”流れの中から拾う”というのは、再生が利かないから。再生可能な体験ならば、観察モードに(自然には)入らない。処理ができる事だから。

初めてのことは、それをよく観察して見極め、情報収集をするので、必ず観察の状態が入る。自然とそのモードになる。

既存の再生とよく観ることから入るその動作の違いによっても、初体験か再生かが分かる。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!