旅の醍醐味
昨晩、風呂で改めて「子供の頃、サイン帳とか卒業の言葉(?)とかで『根性』っていう言葉を書いてたよなぁ…」と思い出していた。
小4からミニバスを始め、昔のスポーツは「根性」なんて普通の時代だったしね。私の一番に好きな言葉だった。
そしてそれを思い出した今の私は「今生(こんじょう)」を同時に思っていた・・・。
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昨晩、確認のため調べておこうと思った言葉を今朝に思い出した事から、この流れは始まった。仏絡み、仏教の世界。
その流れで「機根」という言葉に繋がっていく。そして”根性”はこの機根が由来と知っていく。更に”根”とは…、”性”とは…、と、繋がっていく事が私にはとても楽しい事。
暫く流れのままに繋がり続け、この間に「根・今生・仏性…」という『仏』に関する世界の中にいた時、やっぱり自分の中で点は確信に変わる。
昨年見た夢、
「根を触っていく、直接触っていく・・・」
と言われた事は今、強いメッセージだったと思った。そしてそれを思った時、
細かい事をイチイチ考える必要は全くない。けれど、流れに偶然は一つもない必然。
間違いない。
私は『響き』を憶えている―――。
分かっている、知っているの点が細かくなってきた。
と、今朝にメモし、既に先日
私、分かるんだ、知ってるんだ…。
この感覚に頼っていいんだ。と書いていた事も思い出す。
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(ここから視点が変わる)
ニンゲンとして生きている部分に対して、”見守ってもらう”ような人達が周りにいたから、私はこうしてそのままで来れた。
それは皆、「仏性」があり、見えている部分はニンゲンとしての仮の一面に過ぎない、と知っていたからだろうと思う。
また、仮じゃなかったとしても、それがニンゲンとしての一面であるならば、それも良し(ソレ自体がかりそめ)。という在り方で見てもらえたから(許されていたから)、私はこうしていられた。
私の周りは素晴らしい人が非常に多い事に驚く。悟った人達の素晴らしさに今やっと深く感謝を。
ありがとう。
全てが愛の存在。
皆ひとつ・・・。
そんな言葉で済ませられるような存在達じゃないから、その表現はもったいない、と感じるほど。
自分に対して気づいた喜びじゃない。
今日は周りの美しさにやっと気づき、それに対しての喜びで涙。
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深い所まではまだ届いていなかった私が既に今までに、
・ニンゲン側のアレコレは大した事ない、魂まで腐らなければ…。
・ニンゲンの”側(ガワ)”は表層部分だから…。
など、感覚的に言っていた事は、”理屈”からでも同じく辿り着いた。何も知らなくて、でも感覚的に「そうだろう」という根拠のない確信めいた言葉は、やはり「潜在意識」では”持っている情報”だったからだろうと思う。
「信じる・信頼する」という自分の意志を超えて、「そうだ」という空を埋める様な感覚が「潜在意識」という無意識にはあるのだと思う。
そして、『響き』。
今日の流れから、今生(この世に生きていること。この世、現世)で自然と縁が深くなっているものは、過去世の記憶(生物としての古い記憶)=響きが絡んで現わされているのがこの現世である、と言えるだろうと、今日の探求はとても楽しかった。
かりそめの世、現世。
それをいかに真剣に、あたかも”現実”のように生きるのかが、この旅の醍醐味なのかもしれない。
「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!