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今、意識が熱い(笑)

この記事を書く前に、前日記事を読み返したのだけども。

後半部分。
もろに昨日の出来事、音声noteで話した事(内容は一部)だと、照らし合わせて驚いた(笑)

音声では「外側から来たシンクロ」と話したけども、結局「自分発の」シンクロだった、と捉え直した(*^^*)


本題、先ずはlineメモから。

2/15
あー、そうか。
沢山の粒の配列でもイメージは何でもいい。

その粒がキャッチする「音」だけに反応している。

キャッチ→自分に必要とする音の事。最新から最古まで。その配列を粒、一粒一粒の対応する粒の連続…それが記憶。

とするとおもしろい。

・・・

夕寝に入って間もなくのまだ意識がある状態。その時ツラツラ~っと出たそのままをメモ、そのまま放置していた。

覚醒状態でそれを”考えた”時、解釈や方向づけ、イメージは変わってくる。粒の他では鍵盤の映像(イメージ)で捉えていた。”表”でまともに考えると「逆」に見える動きに違和感(違うか?など)を感じてしまう一瞬もあるけども、よく観れば、”同じ”と捉えた。


(改めて意識して”素”でメモを読み、解釈してみると…、ちょっと変わった捉え方をしているね(笑)更に、”鍵盤”の動きと紐づける(結ぶ)回線が我ながら「おもろいね(笑)」と思う)


「同じ」と捉える。という表現をよく使うけども、それは「同じ」所まで持っていっている、とも表現が可能。実際に自分のソレを観ていると、その様に感じるから。


少し「中」へ入って行く、”イメージ”を必要とした表現で進みます。ある意味理屈は抜きです(笑)

(と、少し書き始めると…。やっぱり”説明”に入ると、途端に進みが悪くなる(笑)映像のままで、解釈は”テレパシー”でならば、どれだけ簡単な事か、といつも思ってしまう。言葉とは非常に煩いもの。とてもとても詳細などを説明できない、そんな風に思いでうるさく感じ、ザックリで止まりました。以下その内容)

粒がたくさん並んでいる。そこに全てがぎっしりと並び、情報は持っている。もう全て。

それが外部からの”刺激”を受ける事によって、その対応か所、部分だけが反応する、自然と都度入る”スイッチ”。刺激(音)が変われば当然、別か所が反応・対応する事で自分の中、内側は自然と表とくっつく。

その”反応(対応)”が、個によってバラバラなのは当たり前で、その反応ソレが、「個」という響き。引き出される個性。そんな所。

・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・

「今日の記事ではこれに触れる」

という事は、前日の振りで自分で解っていたからか、ワン散歩ではこれも含めた空虚な想いも湧いた。

取り出す時、取り出し方で、ソレというものが変わってしまうなら。

その「中身」とは何だ。

外側の何かに依って、やっと外に現れ出るのならば、それと共鳴するのなら外と同じで、ウチソトなし、となる。外が私、外も私だ。

外のそれらによって変わり続けるならば、”私”はどこに。

私とは、”大きな世界”から、ある事をチョイスし続けるその「選択自身」という無常。流れているのが”私”、流れ続けるわたくし、という事になる…。

・・・

まぁ、そんな事も感じたりしながら、今日(23日の事)は、シンクロの面だけでなく、「なんでこんなに”やだなぁ…”という事を目にする?」という様な事象にも、ワン散歩中に出会っていた。

それに対しては、”ただ顕れるという事を目にしている”のだろう、と「今まで目にしなかったモノだってある」と不快も所々感じ、認めながらの忙しい日だった。


音声noteで話したけども。
「静かな驚き」という風にしか、私には表現できない、きっと「遠い所」で感じている事と言うのは。

静かな興奮が去ると、「疲れ」が見えてくる。

これは日中に殆ど書き上げたのだけども、頭が痛くなってきた(笑)


比喩になるかな。

驚きはきっといつもと変わらない反応としてある、と思う。

何が違うかって、

『いつもそれをキャッチする所(脳)と、今日は違う場所』という事。

だから「遠い」。だから「静か」に感じる。

私はそんな風に感じた。


いつもと違う”場所”が活動すると…、脳はやっぱり疲労する。それに気づくのは、段々いつもの「日常」に戻るから。そこで”疲れ”を実感してくる。

最後に、メモしておいた事を書いて終わります。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

23・24日ミラクルか(笑)

”シンクロニシティ”の本の中で、そう記してあった。

今日ふと、あの記事のあの言葉を思い出す。(知らぬがホットケ)

「見ちゃったら食べられなくなる…」

Y(主人)の話は聞いても内容を”スルー”出来て、自分の目で見たモノは受容れる(取り込む)・・・、

本当におかしくて。


他(者)へは”排除”の選択をいとも簡単にしてしまうのに、”私”という関門は透過してしまう。その見えないフィルターは、見えないからこそ最強。

自分への問いがなければ、一生この目に映る事はない。

・・・

少し”世界”が、分かれて来た(そう視える)のかな。

自由なのは「”個”人」という事の、本当の部分が見えてくるのではないか?

囚われているという幻想、見えないカベ、フィルター、雁字搦めに羽交い絞め。

一体、私達に何が視えているのか。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!