メモ帳note1
同じ様に思えても、まったく違う事が分かる。
メモ帳にただ「自分用に」メモしているのと、同じ内容を表に晒してしまうのと。内容は同じなのにその「ある場所」によって、こっちの意識の入り方が自然と変わる。
こっち。
この「私側」という内側の私の動き自体は変わっていない。自分の中から何かを出した、それがメモ帳か外に触れる媒体かの違いだけ。
この違い”だけ”が非常に大きいのだと、この”差”をここに感じているので、何度必要になるか分からないけども、数日の間(?)、後に自分のまとめて(繋げて)行けたら、という事を目的に書いていきます。
言い換えれば、ここをメモ帳状態に拡張して使い、”ここ”の利点を活用したいというもの。利点はそれを見る「自分の響き」。内側の一部となっているメモ帳からの取り込み(自分への入力)では多分響いていないものを、一旦外へ向けて出力しての取り込みから引き出したい。
そんな前置きでツラツラしています。
(つまり読み物として全く完結しているものではありません)
ソコはちゃんと、その時見えない様になってる。
見えない→認識できない。
そこを説明できるのは、それが見えるような場所、ズレてから。
脳の奥でずっと考えさせられてるような感覚(の夢)で、そこで見せられて考えてた。
「分かる」までの”時間”が要る、時間が必要な”分かる”と言った所か…。
「自分」はいつも一致しては見つけられない。物的証拠だけが、自分を証明するか。とすれば…、私と思えるこの”私”はこの時「機能」のことか。
”情報”の接続中(時)は分からなくて、連なって繋がりで、”処理”か。
「距離がないと分からない」
というなら、遠・近があるだけで、どちらも”同じ”と言える。
私で言うならこの機能(身体)に一番近いのがこの「私」という存在であって他者1においては当然、他者1の”私”が一番近い人。「私」というのは特定の存在のことでなく、その機能を身体と共に一番身近にいる人。
という事は…、「私」は人ではなくて・・・。
「私」というものを考えるほどに、遠くなり常に動いている働きを保持しているモノ…か。近づくつもりで”私”に近づき、内側へ入って行くほどに見えてくるのは動きだけで。そこまで来るといつも口にしている”私”は外にみえてくるような(感じるような)気がしてくる。
・・・
読むと(取り込む)混乱してくるのは、層が入り乱れて解釈したりするからかな…。”出力”の段階ではそこはふらつかないので、湧くままに何か1つのものに関して言葉は並べられて発して行くのだけども、自分の中から出したものとは言え、それを”読む”という時は、処理の方向が変わる様な(イメージ)。
それは「どの層で」という必ずしも一つには絞られず、完全に”客観”状態になっている為、ある層でみながら、読み進めて別の言葉からまた別の層をみだして…と、幾つもの線を見始めるから複雑になっている。
「一度に」ではなく、まずはこの線で、そして次はこの線を…という風に分けなければかなり”世界”は複雑極まりなく、非常に脳が疲れた。
自分の中の「何か」と結べることは、一つのゴールであるし報酬でもある。複雑な中をゴリ押ししようとすると、脳はかなり重い(笑)自分の中でも客観したらそうなのだから、他者のこの飛び幅(範囲)は自分のクセを抜かなければ見えてこないなぁ…と感じた。
おそらく。
ストレートに出すことが普通にできる状態であれば外から見ても「分かりやすい」ヒョーゲンになると思う。
外へ出力するという「表現」。この現れ方にさえ、その脳内が映されていると思う。それは内容によってだったり、その時の状態によって変わるものなので、意識せずとも無意識にいつも”自分”はヒョーゲンされている、とも言えるのだけども…。
・・・
私(自分)から離れるほど私じゃない、ので関係がなくなっていく。そう捉える自然。
私とは、この機能に一番近い存在のことで、それを「私」と思っているモノ(?)なので。この機能と異なるものは「違う」と感じる存在…この意識。
と考えるならば。
同じと考えるのは「心」の方じゃないか?方とまでは言えなくても「心に近く寄るもの」なんじゃないか。
もし脳内が色付けで見えるなら、心を表す色が濃く出る「重なり方」だろう…。
「”違う”と感じる」という事も、”同じ”とセットになっている訳で、対になっているどちらか片方が出るという事は、前提に反対があるか、または根本に反対を持っている。
”違う”の発現は、”同じ”から分かれたその一方として違いが見えている訳で、何が「普通」として設定しているかによって、この言葉の意味も違ってしまう。
そのいつもの状態が正しい間違いという内容とは関係なく、「いつもの”状態”と異なるかどうか」という”違う”の主張をしてくるのが感覚的なもので、内容の精査は関係がない。
・・・
身体はあり方を露わにし
言葉はコトのスタート地点を表す
そしてまた言葉は身体を現す手段であり
長旅の結果でもある。
言葉だけを観ていても人が判るはずがない
散々あちこちに書きなぐり、夕方2Fの掃除に上がる。
寝室に入ってマンダラの絵が目に入った途端、昨晩寝る前の事を一瞬思い出した。
⦅そうだったそうだった…⦆
内容を一瞬で確認したつもりで動きを止めないまま掃除モードへ。そこで頭の中のさっきの情報を確認しようにも出てこない。
⦅うわ…、もうこれで引っ込んじゃうのか⦆
思い出そうとすると引っ込んでしまう。それ位の”状態”と理解したらそれはもう引き出そうとしない…。
それに関してのメモはしてあるので明日にでも。
「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!