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サークルKが消えた町

サークルKがなくなった。
僕の町から、サークルKがなくなった。

物心ついた時には、それは町にあり、風景の一部だった。
それ以外のコンビニをほとんど知らず、たまに利用する時は違和感を抱いてしまう。コンビニ=サークルK。

待ち合わせはサークルK。道順を教える時の目印はサークルK。から揚げ棒がうまいサークルK。親戚をたどれば10人に1人はサークルKオーナー。

サークルKは町のシンボルであり、文化だった。


経営統合が発表された1年前。
ニュースを見ても実感が湧かず、CNNで流れる他国の出来事のように感じていた。店がなくなる。そんな可能性は微塵も浮かんでなかった。

サークルKがなくなった。
見慣れない蛍光色の看板が、景色に溶け込むことなく、はっきりとしたよそ者感をまとっている。
足を運ぶのも億劫で、夜食を買いに行くこともなくなった。体重が減った。
待ち合わせ場所がなくなり、道順を教えるにも苦労し、から揚げ棒を食べなくなった。体重が減った。

親戚は苦虫を噛み潰したような顔をして蛍光色を見上げている。

僕の町が、僕の町でなくなった。
経営統合が発表されて1年。年度末にあわてて工事し始める役所のように、急ピッチで改装が始まり、この一ヶ月で町は蛍光色に塗りたくられていった。
あまりにも突然で、悲しみを感じる暇さえなかった。


2月20日、乃木坂46の橋本奈々未さんが卒業した。
10月に卒業を発表してから4ヶ月間、僕らはしっかりと悲しみを感じていた。

彼女の初センター曲であり、最後のシングル「サヨナラの意味」。この曲をもって彼女は、僕らにはっきりと別れを宣告し、サヨナラを噛みしめる時間をくれた。卒業が近づくにつれてメディア露出は減り、彼女がいなくなるという事実を僕らは受け止めていった。
きちんと悲しみを感じ、別れと直面して、僕らはようやく悲しみと折り合いをつける。そして忘れていく。


桃鉄の買収くらい気軽に唐突に、僕の町からサークルKはなくなった。
敗戦国のように無慈悲に、文化は切り捨てられ、敵国の法律を押し付けられている。
感傷に浸る暇も与えられず、胸に穴がぽっかり空いたまま、それでも変わらない日々を過ごしている。

消えたサークルK。悲しみの忘れ方を、僕は知らない。

悲しみと折り合いをつけるタイミングを、僕はのがしてしまった。
奥歯に物がつまったような違和感を、これから何十年、いだいたまま生きていく。


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