コーヒー屋に勤めて半年
コーヒー屋で働き始めて半年がたった。
ちゃんと数えると9ヶ月くらい経ってますが、まあ誤差でしょう。
働き始めて変わったこと
働く前は
・コーヒー淹れたことない
・もっぱらネスカフェゴールドブレンド
だったのが、今では
・コーヒー淹れるようになった
・コーヒー豆を焙煎するようになった
と変わってきた。
コーヒーの淹れ方はシンプルなもんで、ドリッパーに豆をセットして、お湯を流しいれればよい。
だがシンプルとイージーは別物で、ひとくちにお湯を流しいれると言っても方法は様々。そこには深淵の世界が広がっている。最近ようやく自分の淹れたコーヒーがおいしいと思えるようになってきた。
コーヒーの焙煎はここ1ヶ月くらいで始めたことで、自分の好きな味を探して世界を旅して豆を買うより、自分で焼いて好みの味にしたほうが早いのでは、と思ったのが動機。
幸い働き先に焙煎機があったので、店主の好意により使わしてもらってる。
豆を焙煎する、というのはコーヒーを淹れるよりシンプルなもんで、豆を火にかけてまんべんなく熱が通ったら完成である。
だがしかしシンプルとイージーは全くの別物で、熱の通し方は深淵である。
シンプルは好きだ。最初の一歩を踏みだすことに関しては、イージーよりイージーだと思う。お湯を入れれさえすれば、熱を通せさえすれば、とりあえず完成まではいけるのだ。必要な道具も少ない。やってみたら案外うまくできんじゃん自分!という新発見もあると思う。
↓の記事を読んで楽しそう!と思ったらぜひやってみてほしい。沼が待っている。
シンプルとイージー
シンプルとイージーの対比をよく聞く。分かりやすいのは、手で淹れることと全自動コーヒーメーカーの対比。
例えば去年末あたりに発売されたツインバードのコーヒーメーカー。
誰でも手軽に、専門店の味わいを。
という一文から製品説明が始まっている。「手軽に」、つまりイージーを売りにしている。
想像だけどツインバードの作り手さんたちは、コーヒーをもっと身近に、手軽に楽しんでほしい、コーヒーのある生活を定着させてほしいといった理念の元に全自動コーヒーメーカーを作ってるんだと思う。想いの分だけ、技術をつぎ込んで完成させたはず。僕もこのコーヒーメーカーほしい。
しかし、作り手さんたちがつぎ込んだ分だけ、使い手となるこちらは、なにかをつぎ込む余地がなくなる。
コーヒーを好きになっていくと、もっと抽出の仕方を変えたいんだよなーと凝り性が生まれることもある。そういった要望はイージーを追求した製品には、あまり受け入れる余地はない。余地を残してしまうと、「手軽に」を実現することが難しくなり、当初の思想から離れてしまうからだ。
なにが言いたいかというと、イージーとシンプルは、あくまで役割の話であって、全自動コーヒーメーカーでコーヒーが身近になって好きになって、もっと凝りたくなったらハンドドリップの世界にきてもいいんですよ? たのしいですよ? という話である。ようこそコーヒー沼へ。
なんでこんな話をしてるかというと、最近「お前の使ってるそれはイージーであって、勉強もせず使う輩が多いし、拡張性はないしダメダメだ。それに比べて我らシンプルは、学習コストは高いがより原理的であり、高度なことができるのだ!わっはっは!」というマウント発言を聞くことが多くて辟易してたのでした。
イージーを使い始めて、そこで無理が生じてきたなーと愚痴を吐いてる人を見かけたら、これだからイージーは!!とマウントするんでなく、シンプルな世界もいいですよ? たのしいですよ?と言ってみたらいかがでしょう。という話でした。
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