見出し画像

狂雲集 (中公クラシックス)

"聡明の外道、本より無知、精進の道心、幾ばく時をか期せん。天然には、釈迦、弥勒無し、万巻の書経、一首の詩。"晩年の大徳寺入山を踏まえて再編された語録、漢詩集である本書は、説法という形で時代を超えて問いかけてくる風狂の禅語録。

個人的には可愛らしい風貌の『アニメのトンチ小僧ではなく』(懐かしい)髭面の破戒僧、また『天皇(後小松天皇)の私生児らしい』位は知ってはいたが、実際の言葉に関しては触れていなかったので手にとりました。

さて、そんな本書は自ら狂雲子とも号した一休宗純の語録集『狂雲集』1642年版の上下二巻を一冊にまとめ、博覧強記さでも知られた中国禅宗史研究者、柳田聖山により【通し番号をつけて、まず漢詩が、それに改行して現代訳がつけられた形式で】約300ページ、その後ろに詳しい訳注が約150ページ。といった構成になっているわけですが。

まあ、臨済宗にも禅にも語れるほと当然に詳しくないわけで。『そういったところの解釈』は関係の方や専門家に任せるとして。【思ったままに書けば】どうみても残された肖像画が『マッキー』こと歌手の槇原敬之にしか見えない一休が、現代訳だと『ボクの胸のうちは、最高に異常である』などと、盲目の美女『森侍者』に向けた気持ちを書いていたりするので、表層的には実にポップでエモいというか、まるで【森見登美彦作品に出てきそうな饒舌な大学生】にみえてきて、読みながら戸惑った。

一方で、そんな私小説的な『本来なら隠しておきたいような心情』を自ら編集して残し、また説法として【積極的に公開していたところ】そのあけすけな人間臭さが民衆の共感や支持を受けたのかな?とも思うし、確かにここまで堂々と語られると、当時の仏教が権威にとらわれたり形骸化していることを認識している他の僧たちはやりにくいだろうな。と考えたり。

一休や禅に興味がある方はもちろん、室町時代の風俗に関心ある方にもオススメ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?