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スローターハウス5

"人生について知るべきことは、すべてフョードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中にある、と彼はいうのだった。そしてこうつけ加えた、『だけどもう、それだけじゃ足りないんだ』"1969年発刊の本書は、半自伝的にして、SF的な巨大な力と翻弄される自己を描く虚無的小説。

本書では著者の別作品『タイタンの妖女』でも描かれた【時間を『因果関係』としてではなく、その始まりから終わりまで『同時的認識』としてとらえた】瞬間に、当然に個々にあると考えている【自由意志は失われ】代わりにあるべき未来のとおりに行動すべきである、という【必然性のみが立ち上がってくる】ことになる事を本書では、自身が戦争中に経験し、また本書によって明らかにされた、第二次大戦後に推定13万以上の死者が出たドレスデン爆撃をテーマに描いているわけですが。

何度も作中で繰り返される『そういうものだ』(So it goes.)というフレーズが代表するように、起きたドレスデン爆撃を激しく告発するわけではなく、ただ終始一貫して虚無的に受け止めている感じが、著者のなんとも【言葉にできない感情】を伝えてきます。

また、本書内での"この小説には、性格らしい性格を持つ人物はほとんど現れないし、劇的な対決も皆無に近い。というのは、ここに登場する人びとの大部分が病んでおり、また得体の知れぬ巨大な力に翻弄される無気力な人形にすきないからである"と【著者自身が作中で書いているのが全て】と思われるのだけれど。必然性のみに動かされる登場人物それぞれの姿は、自分自身と重ねて考えると【受け入れ難くも、そうかもしれない】という複雑な気持ちにさせられます。

1960年代の実験的な小説に関心ある誰か。またSF的幻想を通じて、人生それ自体の本質を振り返りたい誰かにもオススメ。

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