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無名の人生

"『自己実現』というのは(中略)社会的地位や名声を得ること、つまり成功すること、出世することをそう言っているので、人びとを虚しい自己顕示欲に駆り立てるだけです。『自分の人生の主人になる』というのは、これとは似て非なるものです。無名であっても平凡であっても、というより、むしろそうやって『有名になる』ことに囚われないほうが、自分の人生の主人たりうるのです。"2014年発刊の本書は『逝きし世の面影』著者自らの半生をもとに語られる幸福論。

個人的には『逝きし世の面影』は読んでましたが。別に石牟礼道子『苦海浄土』の読書会を主宰した際、著者が伴奏者的に石牟礼礼子と共に活動していた事を初めて知って、あらためて興味を持って本書を手にとりました。

さて、そんな本書は著者自らの"あとがき"によれば"八十を越してもあい変らず幼稚な私が、人生について何かものを言うこと自体滑稽である"と言いつつ"生きるのがしんどい若い人びとにエールを送りたい"と、京都に生まれるも、幼くして熊本へ、そして北京・大連で学生時代を過ごすも敗戦と共に帰国。熊本で『熊本風土記』という雑誌を始めたことから石牟礼道子『水俣病』の活動に関わることになった半生を振り返りながら。。

人生についてや生きる喜び、幸せだった江戸の人々と別の価値としての近代化、ナショナリズムと自由に語りつつ【人間、死ぬから面白い】その生に味わいが出てくる。として老成した語り口で幸福の在り方について書いているわけですが。

まず、若い人の間で人気の動画配信者達いわく『好きなことで、生きていく』あるいは高齢者の間でも『100年時代』と【自己の追求を過剰に『外部』から求められる】現代の空気感ですが。『逝きし世の面影』で江戸の人たちを紹介した著者が【自己愛に苦しむ現代人】と比較して"昔の方が良かった"として単純美化するのではなく近代以前には"自己顕示を嫌う"【別の文化的価値観が在った】と紹介しているのが、とても良かったです。

また、著者が熊本で関わってきた人たちとして、石牟礼道子はもちろん"モバイルハウス"などで話題になった坂口恭平、足繁く話を聞いたとして吉本隆明の名前も出てきますが。"平凡に、無名のままに過ごすのは、つまらないことでも、虚しいことではありません。"と言いつつも、著者が【自分なりの努力をずっと積み重ねてきた】ことも本書からは暗に伝わってきて。果たして著者と同年代になった時に【自分には次の世代に語る言葉があるのだろうか?】そんな気持ちにもなりました。

著者の半生に興味ある方はもちろん、自分らしさ、自己実現をずっと求められる空気感に生きづらさを覚えている人にもおすすめ。

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