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デカメロン下

"私ども十人は各自その一日を主宰いたしました。それぞれ王の名誉を授けられました(中略)出発した場所へ帰るべき時機がそろそろ到来したかに存じますが、皆さまはいかが思召しでございましょうか"1348年から1353年にかけて製作された本書は、ペストから逃れてフィレンツェ郊外に引きこもった男女10人が語り合う10日間の100物語、その下巻にして、第8日から10日までの物語。

個人的には、上巻、中巻から続くペスト禍における【ステイホームなセレブ達】男3人、女7人の10人の【王様ゲーム】としての枠物語として引き続き手にとりました。

さて、そんな本書は引き続き8日は【悪戯やとんち話】9日はネタにつまったのか【各自気ままにフリーテーマ】そして10日はまさかの【自己犠牲などの立派な振る舞いをした人たちの話】が各10話ずつ計30話語られた後、10日目の王様役が"わたしたちの存在が知られてしまい、物真似されてしまってはいけません"と提案、物語は一旦それぞれが帰路につくあっさりとした結末を迎えた後『著者結び』として著者が登場、再び当時の【非難への反論と感謝】を述べて終わるわけですが。

まず上巻、中巻と比べて話題的に下巻はおおらかエロス話が少なくなっている事から、必然的に【紹介される物語の幅が広くなっていて】豊富な注釈を参考にしながら当時の風俗・文化事情をより知る事ができる巻のように思いました。(最早、お坊さんと人妻の『貞操観念のなさ』に麻痺してきたのもあるかもしれませんが。。)

また最終日となる10日に【これまでと違って】やけに理想的な偉人たちの話が続くのにはやはり戸惑いを覚えるわけですが。10日第10話【農民あがりの妻を長年、当然の様に虐待して試す伯爵の話】が披露されるあたりに至って、これはそのまま感心して受け止めるのではなく、平民階級の著者自身による上流階級への【シニカルな風刺的企み】と考えるべきなのか?と思いました。

最後に訳者の素晴らしく熱量溢れる翻訳、注釈(田辺聖子の『ときがたりデカメロン』への度々の言及の多さも楽しかった)にもあらためての感謝を。

ペスト=コロナ禍の文学として、またイタリアの商人階級の勃興、初期ルネサンスの始まりを知る事ができる物語としてオススメ。

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