見出し画像

職業としての学問

"要するにこんにち一部の青年たちが犯している誤りは(中略)つまり教師ではなく指導者をもとめていることにあるのである"大戦末期のドイツにて、社会学者の著者が規制の価値に不信を抱く若者に対して1917年に行った講演を収録した本書は、教育者が価値観を押し付けること、あるいは学生が目新しい体験を安易に求めることに対し警鐘を鳴らしている時代を越え【学ぶこと自体】を考えさせてくれる普遍的名著。

個人的には大学の時に約100ページの薄さに油断して?結局積ん読のままになっていたのですが。世代的に周りに様々な教育関係の方が増える中、あらためて関心をもって手にとりました。

さて、本書では一応は前半に【職業としての学者】についてもアメリカと比較しながら書いているものの、表題が『職業としての【学者】』ではなく【学問】としているように、重要なところは多分にそこではなく『学ぶこと』それ自体について。コストパフォーマンスやわかりやすさを安易に求めずに、また【事実と価値を区別して】(『価値自由』)それぞれが自身の領域で取り組むべき問題に集中すべしと述べているわけですが。著者自身が別の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』において【プロテスタントの禁欲的生活が近代資本主義の発展を促した】と明らかにし、言わば【金儲けに正当性を与えた】功績に代表される他、様々な分野で結果を残してきた人物なので、何ともぐうの音が出ない読後感でした。

一方で、本書では『学問と政治の峻別をすべし』と教師が自身の講義で【自己の主張を説いたり、強制してはならない】と何度か繰り返すと共に、学生自体にも学び以外の体験を求めて同士でグループをつくっても【結局は小さなカルト的集団にしかならない】とも指摘しているわけですが。何故だろう?第1次大戦末期の話のはずが、大学以外に(大学も含め?)軸のない勝手アカデミックを自称する場がオン、オフで乱立する一方、キラキラとした学生社長が様々な思惑で(とりあえず)誕生している現在にも【良くも悪くも共通した指摘】の様に感じられ、こちらにも唸らされました。

アカデミックに限らず様々に【教育に関わっていると自負している】全ての人に、また大学の授業で本来学ぶべき事を学ばずに『大学生』として社会貢献やまちづくりといったワードに【現実逃避している若者】にもオススメ(お節介すいません)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?