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断片的なものの社会学

"社会学者として、語りを分析することは、とても大切な仕事だ。しかし、本書では、私がどうしても分析も解釈もできないことをできるだけ集めて、それを言葉にしていきたいと思う。"2015年発刊の本書は、理解や分類を拒む街、世界の人たちの物語に静かに寄り添い、耳を傾けた良書。

個人的には、読書会参加者にすすめられて。著者の本は、小説『リリアン』に続く形で手にとってみました。

さて、そんな本書は著者自身が"テーマも不統一で、順番もバラバラで、文体やスタイルもでこぼこだが"と述べている様に、著者自身が社会学者としてのフィールドワークで"出会った"沖縄や大阪の生活者、またはネットを彷徨って"出会った"ブログなどについて。理解した"ふり"をして【意図的に取捨選択、編集したりはせずに】ただ、その断片的な『語りの言葉』をほぼそのままに収録したもので。

つまり、結果として当然に。SNS社会全体に蔓延している【わかりやすさ】というレッテルや圧力に"抗う"というより、"受け流す"かのような内容で。なんとも読み手としては"感じるままに書く"しかないわけですが。

まず、著者自身が訪れている沖縄には若い時に縁があり、また大阪のディープサウスとして新世界(釜ヶ崎)周辺には現在進行形で今も縁があるので、本書で著者が出会う人々と"とこか重なる懐かしい人たち"の顔が脳裏に浮かんできて、私にとっては外側から眺める。というより著者と【一緒に語りを聴いているような】不思議な読後感でした。

また、先に小説『リリアン』-大阪の街外れで暮らすジャズベーシストの男と、場末の飲み屋で知り合った年上の女を中心とした物語を読んでいたので、同書の登場人物や舞台が多分に本書で浮かび上がる【著者自身の生活が反映されていることがわかり】"なるほど、断片的な言葉、世界を小説という形式でも発表することにしたのかな?"と勝手に解釈して、すとんと納得する感じもありました。(違ってたらすいません)

暴力的であったり、短絡的であったりする『わかりやすさ』の世界に疲れた誰か、また沖縄や大阪に馴染みがあったり、親しみをもっている人にもオススメ。

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