01 肝移植生体ドナーになる決心
3月の日曜日、カカオトーク(日本のLINEのような韓国アプリ)の従兄弟たちとのグループで叔父さんの話を聞いた。肝臓がんの再発、移植が必要で従兄弟たちの両親たちが検査をするとのことだった。結局再発したのか、移植か…そこからだった。移植を意識し始めたのは。叔父さんの兄弟が検査をするとは聞いたが、コロナの状況が緩和されて韓国に行けるのなら私でもやれるかもしれないとなんとなく思うようになった。そしてその場で少しだけネットで調べたが臓器移植は「血液型が同じであること」が第一優先のようだった。(必ずではないが血液型が同じであればもう少しスムーズということ) でもすでに検査する人が何人かいるとのことで何かあればまた連絡があるだろうとそのまま自分の生活に戻った。そして数日後、母からの連絡、母が検査することになって適応する場合保護者の同意が必要だということだった。おやおや?母がやるの?65歳で兄弟の中で一番上なんだけどそもそもその歳でできるものなのか疑問でしかない、すぐ電話をかけた。
話を聞いて色々納得できず、でも移植の話が出たのは緊急かもしれないと思ってその場で母に聞いた。
「叔父さんの血液型は?」
「B型なの?え、私もB型だよ。私できるよ!」
「あんたが…?」
今思い返せば母は少し戸惑っていた気がする。でもあの時私は確かスタジオで仕事の片付けとデータ処理をしていて仕事後にはジムを予約していて作業を急いでいた。だから母を急かした。とりあえず私を候補としてあげるようにと。これが全ての始まりだった。そこからいつ帰れるのか、今持っている仕事はどこまでできるのか、そもそもこの状況で韓国に無事に入国できるか隔離はあるのかなど…調べなければならないことがたくさんありすぎて、一旦仕事を終わらせてジムへ向かった。私はこの日から禁酒をし、脂肪肝にならないよう食事を見直した。短期間ではあるが少しだけ体重と体脂肪を落としたく二度目のダイエットに突入した。
その日から数日間母と何度も連絡を取り合った。そしてコーディネーターの方とも連絡を取った。検査で適応して手術した場合その後のことまでわかる範囲で説明をしてもらった。そこから叔父さんとも連絡をして帰国日を決めた。4月17日日曜日、約2年半ぶりの帰国が決まった。コロナ禍以降初めての帰国がすごいことになった。
帰国までのスケジュールはかなりハードだった。平日はほぼ毎日撮影があって、週末も作品撮りがあるなど…その間帰国のために3回目のワクチン接種やワクチン接種証明書を取るなどバタバタの毎日だった。そして自分の誕生日にどうしても泊まりたい宿があってその日程だけはそのまま確保して置くことにした。手術することになればしばらく自由にできないだろうと思ったのだ。コロナにかからないことも大事だったけどまだ実感してないのかこの時はまだ自分のための時間もとても大事にしたいと思っていた。
帰国便のチケットを予約して、誕生日の一人旅をして、4月15日に最後の撮影を終え、翌日PCR検査を受けて陰性証明書を取って17日の朝成田空港へ向かった。以前空港までの行き来でよく乗っていたリムジンバスもコロナの影響で場所によっては路線がなくなったりしていて、数年ぶりに成田エクスプレスに乗った。空港自体もまだ人が少なかったが、チェックインの列はとても長く1時間くらい並んだ気がする。久しぶりの帰国で少しうきうきしながらもこれから待っている検査やそれによる今後のことなどで少しふわっとした気持ちと共に約20年ぶりのロングバケーションが始まった。
無事にチェックインしていよいよ韓国へ。
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