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昔話に学ぶ《な》

ついに60作品目に達する

昔話に学ぶシリーズ

さぁ今日は何のお話を深読みしようか

今日は

グリム童話から

『寿命』

なんていかがかな

非常に端的で

堅苦しい題名

重たい苦しいお話

のように思えるね

内容は以下…


天地創造ののち、

神さまは

寿命として

全ての生き物に30年をお与えになった。

あるところに

ロバがやってきて

自分の寿命は何年かとたずねた。

神さまが30年はどうかというと、

ロバは、

荷物の運搬動物として

他の者たちにパンを食べさせるため

重い荷物を運ばされ、

元気を出せと叩かれたり蹴られたりの

我が運命を嫌というほど悟っており、

耐えられない。

もっと早く重労働から解放して頂きたい

と願い出た。

神さまは

可哀そうに思い18年、短くしてやった。

すると次に

犬がやってきて

吠える声がなくなって噛みつく歯がなくなった

時には部屋をウロウロして唸るしかないのだ

と話す。

老齢を恐れた犬を不憫に思い、

神さまは

犬の寿命を12年短くしてやった。

次に

猿がやってきて

猿もまた老齢を嫌がり、

自分はおかゆがあってもすくうさじがないし、

ただ人を笑わせるためにおどけているだけなのだ

と話し

もっと短くしてくれ

と頼んだ。

神さまは、

親切に10年短くしてやった。

最後に人間が現れた。

男も女も30年では満足せず、

もっと長い寿命をねだった。

そこで神さまは

人間に

ロバの余りの18年を与えてやった。

人間はそれでも満足せず、

もっと寿命をほしがったので、

神さまは犬からさっぴいた12年を、

さらに猿からの余りの10年も与えた。

こうして人間は

80年生きることとなった

人間は最初の30年は健康に暮らした

なぜなら、それが本来の寿命だから。

しかし

男も女も

次のロバの18年は

他の人を養うために働きづめに働き、

毎日打たれ、急かされて過ごす。

次の12年は

犬の人生なので、

部屋のすみっこにいて

歯がなくなり噛むことも出来ず

ぶつぶつ不平をいったり、

唸ったりしながら過ごす。

最後に

猿の人生がやって来ると、

頭がボケておどけたことをし始め、

子どもたちの笑い者になっても

それにも気づかず

好き勝手に振舞うのだった。

おしまい…


Oh…No…

え!寿命ってそんな決まり方だったの?

ということは全ての生き物は

30年を基準に生きている

30歳までが精力的に生きられるリミット

なんてこった

僕30歳を超えてしまったよ

活動限界というのかな

んー。なんだか悲しい物語

物は考えようでさ

もっと楽しく考えられないのかな

せっかく寿命が延びたんだから

それぞれ必要であったはずの寿命

それを分け与えてくれたんだからさ

もっと楽しもうよ

30年

これが何の時期なのかを考えよう

きっと

生きるを楽しむ時期なんだ

どう何を楽しむかというと

学んだり

関わったり

を満たす

にも色々あるけれど

人間が生きていくために必要な

一般的に「三大欲求」と呼ばれてる

「食欲」「睡眠欲」「性欲」ってのが

きっと分かりやすいのかな

人間の生命維持という観点で考えると

性欲というか「排泄欲」なのかもしれない。

「集団欲」っていうパターンもあるみたい。

与えられるものもあるし

自分から取りに行く場合もある

そういう意味合いでは

生命維持とか生きるとかも超えて

+α

趣味とか生活環境だとか

とにかく楽しむ

という意識が大事なのかもしれない

そもそも

欲求とは、

 「自分の心を満たしたい」 と思うこと。

ヒトには心がある

欲求が叶ったり目標達成した時に、

自分にとって良い感情、気分がいい状態

が発生する。

その時期が30歳まで

それ以降は

楽しむという時期は過ぎて

(他の人)誰かのために

後世に残すという作業に移る

自分のために生きてきた30年

次は他人のために費やす

バトンタッチする

私腹を肥やすのではなく

他者に譲渡する

引き継ぎフォローする

何のために?

ヒトという生物のために

よりよい生活

よりよい社会のために

体力はなくなり

活動制限が来てもさ

口はどうにか動くし

頭や意識もある

ともなれば

生活の知恵や

生きる術、出来事の伝承時期

なのかもしれない

説教ではない説法と捉え

ありがたく頂戴すればいい

最終的には

自分が誰なのかも

分からなくなることもあるかもしれない

そんな時には笑ってやってよ

嘲り笑うとか馬鹿にするのではなくて

笑いって大事でしょ

雰囲気大事じゃない?

生きることに一生懸命になっていたらさ

アクセル全開だったり

ペダル漕ぎまくってたり

全力でしてたらさ

疲れるじゃない

そんな時に

馬鹿なことしてさ

その場の雰囲気が和らぐとか

内輪だけで笑えるノリ

そんな少しのエッセンスに

なれば本望なのでは?

ヒトとして生きるのに

どう生きるのか

何を残すのか

どう終えるのか

『寿命』という物語には

そういう人としての生き方

を考えさせられる

社会風刺的なメッセージが

込められているのではないかなと

考えるのだけれど

いかがかな?

皆の家系は長生きなのかな?

日本最高齢といえば

今年5月、東京五輪の聖火リレーに

参加された福岡県福岡市在住の

118歳のおばあちゃん

すごいよね。

1903年〈明治36年〉1月2日生まれだとさ。

明治→大正→昭和→平成→令和

5つの時代を生き抜いている

日露戦争とか戦争をも経験してさ

現在も立派に暮らされている

すごいよね

我が家系は短命でさ

特に男性は

60歳位までに皆病気で亡くなっている

父親は60を超えて

まだ生き生きとしているけれど

子どもの時に見ていたおじいちゃんの歳を

父親がすでに超えてしまっていると

気づいた時

あれ?ほんとに60歳?

こんなに若々しく老いに対抗出来てる

全くもって体型も姿かたちも変わっていない

父親を尊敬さえしてしまった

30を超え

家系の中では折り返し地点を超えてしまった今

自分がどうすべきなのか

何をすべきなのか

(他の人)誰かのために

周りのヒトのため

そのために生きる

『星の銀貨』でも話したけれど

相手の幸せが

自分の幸せだと感じる

これすごく大事なマインド

のちの幸福感とか

生きやすさにも通じてくると思うのだけど

そういう心を

私は大事に生きていきたい

誰かの幸せは私の幸せ

蹴落としの競争社会

競争じゃなくてさ

共に寄り添う

共添う社会になったらいいな

共生とか共創とかも既にあるか。

さぁ何する?

さぁどうする?

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サポートがなんなのかすら理解できていませんが、少しでも誰かのためになる記事を綴り続けられるよう、今後ともコツコツと頑張ります!