飲酒量と生活の相関関係
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今日は、
最近酒を飲む量が増えた。
という名目の、音楽をやりますという話です。
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僕はもともと大して飲酒しないこともあり、
(気持ち悪くなるという状態が世界で一番嫌い、かつ弱い)
ライブハウスなどで行われる即席の打ち上げではいつも不甲斐ない思いをしていた。なので増えたと言っても微々たる量だが、酒を一人で飲む日数が最近格段に増えた。その理由が自分でもよくわからない。
社会に出ると、自分がどういう存在意義や可能性を見出されてその場所に存在しているのか、よくわからなくなる。それを自問自答しているうちに、気づけば酒を飲んでいる。これが例年通りの入社だったら、、と思うことは多少ある。腐っても僕たちはコロナ渦において、誰もが手探りの中入社せざるを得なかった世代だ。でもそればかりを盾にはできない。社会は厳しい。
僕は現状、できない新卒だ。
でもそれは、社会に出た人間の多くが一度は悩むことだろうから、本質はそこじゃないんだろうと思う。自分調べでは、自分をアンコントーラブルな状態に仮想的に落とし込みたい欲求の表れなんだと感じている。
(わかりづらい)
僕はもともと、正しいと思ったことはそう言わないと、正しいと思うように動かないと、気が済まないタチだった。それは本気になればなるほどそうで、特に高校時代はひどかった。だからもともと僕の根底にあるのは、
普遍的なルール・まかり通っているもの<何が正しいか・何が最善か
という思想なんだと思う。でも大学に入り、少しずつ溜飲を下げることの必要性も知り、その方法も知った。(それでも我慢できないこともあった)
というのもありながら、大学にはルールというものは存在しなかった。
あえていうなら、ルールすら自分たちで作れるからだ。本当に自由だった。大学への憧れは一生消えないと思う。
ずっと大学で学びながら自分のやりたいことができたら、最高なのになあ。
一方社会というのは、嫌というほどルールや脈々とまかり通ってきたものによって成り立っている、ように見える。(現状)
やるべきことの羅列、順序を守ること、筋を通すこと、責任、それぞれの事情、、etc
基本的にそれを守り、いいパフォーマンスを見せることの対価が金銭であり評価だから、なんの不満もないし、郷に従うことになんの文句もない。それを承知で社会に飛び込んでいる。
でも正直なのは体で、強烈なまでに飼いならされている感覚を覚える。
フラストレーションばかりがたまりパフォーマンスが落ちる。
自分のやりたいことと、人生のバランスを考えて選んだ道だったが、
それでもこうなるか、と自分にがっかりした。
誰かに読んでもらうために書いているはずなのに、
これがどこかで誰かに読まれているかもと思うとゾッとする。
単に自分が悪いだけだ、という話を延々したいだけなので、変に勘繰らないで、そっとしておいてほしい。
話を戻すと、つまり酒を飲むという行為は、強烈に飼いならされている状態からのエスケープであり、抵抗の表示なのだと思う。
それが現状飲酒なのが情けない。
休みの日に昼から酒をゆっくり飲みながら、大好きな40代のおじさんたち(最近はナナイロエレクトリックとしくじり先生お笑い研究部)の活躍を画面越しに見るのが現状の至高だ。
最近SNSで音楽がやりたい、ということを言い始めているが、
僕にとって音楽は、秩序や普遍的なものから脱して、純粋に自分が正しいと思うこと、もっともよいと思うものを表現できる一番の場所なのだと、
改めて痛いほどに確認する日々が続いている。
だから早く、本当に早く音楽がやりたい。
もっと言うならライブがしたい。凝った配信ライブがやりたい。
今はかなり忙しいが、ライブに至るまでの下準備はうまく時間を作りながらやっている。今手元にあるデモには自信しかない。
前のめりな姿勢と矛盾するが、
信頼できる仲間とゆっくり作っていきたいと思っている。
社会人音楽家だから、フットワークも軽くなく、
いつできるなんて保証は一切ないけど、
それでもベットしてくれる人がいるなら、よろしくお願いします。
ライブとか、なんやらかんやらやりましょう。
こんなこと書いてどうするんだと思うかもしれないが、どんなに狭いコミュニティーでも発信し続けることで何かが起きるかもしれないし、そういう狭い部分に、僕は果てしない可能性を感じている。
特にここ一年強で出会った人たちは、みんな素敵な人たちばかりなので。
この文章が気に入っていただければ、ぜひ。 創作活動(執筆・音楽)のために、使わせていただき、それをまたみなさまにお披露目できればと思っています。