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歪みと躍動

本日、久しぶりにバンドのアカウント(https://twitter.com/Turnsblue1)が
動いた。このご時世ながら、以前こそこそとライブをした時の動画があったので、上げてみた。

ライブという動きだと、その前は昨年3月11日、下北沢で、
すでにコロナウイルスが騒がれ始めていた時だった。
奇しくも3.11、2つのことがクロスオーバーして、
こんなにも生きるということを近くに想う瞬間はないなと感じた。

その時は弾き語りで、やはり僕には歪みと躍動が必要なのだと思った記憶がある。バンドサウンドとして音を作る時に、綺麗な音や整った音に憧れることも時としてあるけど、やっぱり歪みの不安定で、未成熟で、どう転ぶかわからない緊張感みたいなものにものすごく生を感じる。
自分がバンドサウンドを欲しているということを改めて再認識した日だった。

思えば3ピースでやっていた時は字義通り躍動していたと感じる。
3人でやると、棒立ちじゃステージを使いきれてない気もするし、
あの時はとにかく行き場のない怒りとか、何やらかんやらのエネルギーが
ふつふつと湧いていたから、とにかく汗をかいていた。

僕がバンドをやりたいと思う理由は、歪みと躍動、この二つにある。
いや、オーバードライブ踏んで、大げさにリズムとればいいんでしょ?
まあ、そうだけど。そんな節操ない言い方しないでよ。

普段歪みを生み出せる場所ってあるだろうか?
大げさに躍動できる場所ってあるだろうか?

考えれば考えるほど、あまりないんじゃないだろうかと思う。
やはりライブは貴重な存在だし、バンドは貴重な生命体。

今回の動画では、新たにサポートメンバーを数名迎えてライブをした。
今回はうまく言葉にできないが、まさに「歪みと躍動」を体現しているライブだったと思う。

そもそも、サポートという言葉が気に入らない。
ステージに立ったら、それぞれがそれぞれに躍動しているんだから、
別に誰かが誰かを支えているわけじゃない。僕を支えようだなんて、思わなくていいのだ。僕が幹を生み出した音楽の中で、それぞれが躍動していれば、それでいい。いや、それがいいのだ。支える、支えられるではなくて、みんな同じ線の上。

そういう意味では、
今回のメンバーは何か違った意味合いのあるいい集合体だったと思う。
また、どこかのタイミングで集えたら嬉しい。






この文章が気に入っていただければ、ぜひ。 創作活動(執筆・音楽)のために、使わせていただき、それをまたみなさまにお披露目できればと思っています。