目まぐるしく変わる国際情勢と、いつもの人々との日常

ベトナム政府の動きがはやい。この1週間で、海外から入国する人々に向けての体調申告書の提出(自己申告)から、コロナ感染していないことを示す健康証明書の提出(そもそも用意することができない為、入国が難しい)から、対象の人々の隔離から、外国からの入国禁止、そして、ついに、出国すらできるかわからない状況。

今まで、「帰国後」の隔離や生活について考えている時間もあったけれど、こうなったら、そもそも出国できるのか、入国できるのか、という直近の問題。でも、こればかりは自分ひとりで考えても意味が無いので、こういうときこそ人々に会うのだ。

今朝も、マラソンメンバーにどれだけ精神的に支えられたことか。「もう、飛行機すら飛ぶかわからないわ」というと、「あぁ、それならまた一緒に走れるじゃん」と。そうなんだ。ここにいられるのだ。そして、一応「一時的なお別れ」ということで、なんと手づくりのマラソンメダルを頂いた。どんだけ、素晴らしい人々なんだ。そう、私は帰ったとしても、絶対、この人々に再会できる。絶対、この人々と一緒に走る。

そして帰国準備に、これだけ時間を与えられるのは有難いこと。そして、部屋の片づけをしながら、ホストファミリーの子供の笑い声や外のバイクが走る音が聞こえるのが落ち着く。私の日常だ。

常に、平常心を保とうとしていた。でも、何かのときにやっぱり感情がかき乱されることがあって、いつも、少し間をおいて、感情を整えて、言葉を選ぶ。話している相手に対しても、その背景に対しても。

で、なんだろう。ここの人々は、私を知っている。私は、自分に嘘がつけなくなる。感情がかき乱されて、平常心を保とうとして、でも少し頑張ろうとするときに、「頑張らなくて良いから」と、言葉にはしないけれど、言われている気がする。

「自分の生き方」が本当にシンプルになった1年だった。2019年は、環境の変化はもちろんだけれど、少しだけ、周りに優しくなれた自分がいた。そして、「自分中心」の考え方で、自分を幸せにして、初めて周りを幸せにできることを知った1年だった。というか、自分が感じていた「違和感」を受け入れてくれる人々がいた。

昔は、人から好かれること、嫌われることに対して、すごく敏感になっている自分がいて、完全に「相手の時間」を生きていた。でもなんか、もうイイやと思った。自分のことを好きか嫌いか、そんなことは相手が決めることであって、そんな感情やひとつひとつの言動に敏感になるよりも、もっと「自分の時間」を生きようと思った。

「自分の時間」を生きること、自分の直感を信じることで何よりも楽になり、つくりあげていく、創造していく時間、学ぶ時間、人生の質が高くなり、何よりも自分を知って自分を幸せにできることによって、相手の良さが際立って見えるようになった。信念を貫き通すこと。一貫性をもって。自分が誰よりも自分自身を信じてあげないといけない。

私はいつも「観光客目線」を忘れないようにしている。つまり、毎日が人生の1日目のような、好奇心を持ち続けること。探求し続けたい。自分自身の変化にも敏感でいたい。

今晩は、ホストファミリーとのご飯。いつも通り。

出国できるのか、入国できるのか、今後の生活はどうなるのか、全て未知だ。でも、目の前の日々を、いつも通り過ごしたい。

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