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本棚の温度

意外だと言われたことがあるけれど、基本的に私は電子書籍よりも紙媒体で本を買う。図鑑や資料、自己啓発系などの本は電子書籍で買ったり読んだりすることもあるけれど、気に入った小説や漫画はどうしても紙で買う。
本のにおいも好きだし、人に貸すことも出来るし、心が折れそうなときに目に入った背表紙や、不意に開いたページに慰められることもあるからだと思う。

三か月ほど前に大きい本棚を買った。ずっと大きい本棚が欲しかった。
なかなかしっくりくるものがなくて、何年もカラーボックスと収納スペースのあるソファの下に入れて凌いでいた。けれどもやっと気に入るものを見つけて、185センチの本棚が我が家にやってきた。
大きい本棚を夫と二人がかりで夜遅くに組み立てて、少し面倒だったけどなんだか楽しかったし、完成後に二人の好きな漫画を詰め込むのも嬉しかったし、終わってから近所に来ている屋台のラーメンを食べに行ったらすごく美味しかったので最高だった。

新しい本棚は、持っている本全部入れてもまだ余裕があって頼もしい。また本が増やせる。
空いているスペースには旅行先で買った苔玉や、なんでもない日に夫がプレゼントしてくれたキャンディポットを置いていて、見るたびに可愛くて楽しい。
大好きな友達が遊びに来てくれたら、惜しみなく見せて読みたい本を好きなだけ貸してあげたい。

私は、人の家に遊びに行って本や漫画の詰まっている本棚があるとわくわくして見たくなる。
「見ていい?」と確認したのち了承を得ると好きなだけ本棚を観察する。同じ本を持っていると嬉しくなる。
「これ私も好き」と伝えると「じゃあこっちも好きだと思うよ、貸してあげる」と何冊か渡されたりするのもすごく好き。
以前大好きな友達が「『お前これ好きだと思うよ』って音楽でも本でもすすめられるとさ、『俺はそういうこと言うお前が大好きだ』って思うわ」と言っていたけれど、すごくよくわかる。
好き、の電波がぴぴぴ、って通じ合ってるみたいで嬉しくなる。

祖母に、赤毛のアンシリーズの本をもらったことがある。
NHKの朝ドラ、花子のアンを見ていたら懐かしくなって買ったというものだった。久しぶりに読んだらやっぱり面白かった、もういらないからあげる、と全部くれた。
赤毛のアンは読んだことがなかったのだけど、なんとなく読み始めたらこれがめちゃくちゃ面白くて一気に読んでしまった。
赤毛のアンの中では何度もお茶のシーンがあるのだけど、それはスコーンやビスケットの焼きたての香り、プラムの砂糖漬けの甘さが文字だけでよだれが出そうなほど伝わってくる。
私は途中で本を置いてスコーンを焼いたくらい、本当に魅力的な場面だった。
それはそうと、そのあと続きを読もうとしたらまだ続いているお茶のシーンで、本のページにビスケットのくずが挟まっていた。
普段、ながら食いなどしない祖母がビスケットを齧りながらこの本を読んでいたのかと思うとす~ごく愛おしくなってしまった。
本のこういうところ、すごく好き。
借りた本に、挟まっているきれいなしおり、紙とインクの奥にあるその人の家のにおい、何度もなぞったであろうページの癖、そういったものに気が付くと、少し距離が縮まった気がしてしまう。


今は音楽のサブスクが主流なのでCDの貸し借りなんてもう滅多にやらなくなってしまったけれど、あれも最高な文化だったと心の底から思う。
高校生の頃好きだった子にCD借りてすごく嬉しかったな…着メロその曲にしちゃったりしてさ…
そんなこと言っても私が知り得ないだけで現代の高校生には現代のときめきがあるのでしょう。

けれど本の貸し借りと交換ノートは永遠にあってほしい。
そのひと手間のなかの愛を、どうか永遠に交換していたい。

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