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裏浅草通信(番外編2)珈琲

表札しか出ていないエントランスは、静かにひっそりとしていて…壁に小さな木の欠片が立てかけてあれば、今日はお休み…ということ…欠片にはきょうはお休みとは書いてある。二階のカフェは満員にて入れぬことも多い。ぎしぎしいう階段を登りきってまたひそやかに扉を開け、目礼をして、席を見わたし、いつもの一人席がうまっているのを確認して、カウンター坐る。静かにメニューが差し出され、つらっと目を通すといくつかか新メニューもあり…それは後回しにして、まずシダモを飲む…チョコを合わせてもらう。ふーっと静かに息をして、ふとカウンターを横から見ると、若いお客さんが文庫本を読んでいたり、何かのメモをしていたり…手の中に紙があるということに気づいた。いまは珍しい風景だ。携帯を出している人はいなかった。PCは駄目だけれど携帯は禁止されていない。自分の持ち込んだ昏さが少しだけ緩和され靄のようになった。息をするのが辛くなるとここに来る。それは店主のKさんが自著に書いていることで、癒されに来てください、自分も喫茶店でそうしてもらったから…と。

ここ暫くの変化に、頭は混乱し整理がつかない。たぶん長らくこらえていたものが取り繕えなくなって崩壊を露呈したということなのだろうが…余りにいっぺんにくるので、スタイルをもっていた[日常]が保てなくなっている。珈琲ひとつとっても、変化は大きい。清澄白河のほうに上陸してきたブルーボトル系の珈琲が、自分の好きだった珈琲の淹れかたを席巻していった。しかしながら、老舗のBとかはむしろ輝きをましていたので安心していた。しかし…コロナで人が離散したのか…どうかは分からないが…どうにもBはいけない。美味しくない。雰囲気も普通。山谷で矜持をもって珈琲を出していた凛とした優しさも感じられない。雑駁な感想で云えば…美味しいものを出していたところほどスタッフが離れ、それが味に響いてくる。マスターの腕は抜群なのにそれを出し切れなくなっている。…Bも見知ったバリスタはおらず、何年か前に入った若い子がカウンターに入っている。で、不思議な話しなのだが、珈琲の場合…今は、むしろベテランの味の方が問題に感じる。若い子はそこそこ淹れる。しかもボクに向かって淹れてくるので、熱があって、それだけでも珈琲は美味しくなる。…浅草のFとか蔵前のHとか…若いキャリアの少ない女子のバリスタが美味しいエスプレッソを淹る。一人しかいない。伝達できないというのがネック。でもそういう時代なんだろうな。一人はどうにかなる。一人以上の集団が力を発揮できない。(究極の典型としての話)ふっと行っていつも変わらず美味しいのは…そして店の誰が淹れても美味しい。店としての集団性をきちっともっている。

一週間に一回とか心の立直しに、訪れるが、人気店なので、早々入れるわけではない。どうやって珈琲生活を構成したら良いのかと迷いに迷う。アイディアも湧かないので、新メニューの水だし珈琲と梨のコンポートを頼む。水出しは、香りが高くて味も単一じゃない…凄いな、飲んだことない。で、コンポート、チョコがけ。これも初体験の味で、めちゃくちゃ美味しい。どんどん新しいメニューを作る。とまってても充分ナンバーワンを狙えるのに(というか自分の中ではナンバーワン)…店のあり方が、これからの生きかたの一つの未来像であるような気がする。さて、通う珈琲店の数が減れば必然、自分で淹れて飲むことになる。何十年かぶりで日常の珈琲淹れを再構成する。今まではコウノのドリッパーにKalitaのサーバー、豆はバッハブレンド。これからは、コンピュータに張りついたまま飲む感じなので、できるだけ早く簡便に、で、その中で美味しいものをという方針にした。最初に試したのが「ドリップバック」カップの上にのせてお湯を注ぐの。ドトール、スタバ、UCC、キーコーヒー…大手ではデイリー山崎に良くあるメーカーじゃないのがいけるかな…もちろん丸山珈琲とか猿田彦とかはレベルをもっている。個人ブランドだとチョコGの手で作っているのが美味しい。とり合えず、封を切って注ぐだけだから仕事の中でも淹れられる。もう一つはネスプレッソ。最初に出会ったのは、イタリア・フィレンツェのデモンストレーションショップだった。2000年かな。何といううんだろう…ポッドが多種あって、箱に入って展示されていたけれど、おしゃれで素敵だった。味はそこそこだったからそのまま気にもとめなかった。むしろ別のマシンを買って使っていた。最近、アップライトのピアノに似せた黒いピアノのシリーズが出て、それを飲ませてもらったところ、これがめちゃめちゃイケていて、すぐに購入した。黒じゃなくて赤をだけど…。ほぼ毎日、ネスプレッソのドッピョ(ダブル)を飲んでいる。常時、15種類とかは置いている。ヴェネチアがお好み。

で、そうなると、手が珈琲淹れに慣れてきて、ドリッパーを復活することにした。で、ネットで見てたらコウノがピンクの可愛いセットを出していたので、凝り性にならないように、手数が多くならないように、自分用の一人だから、気楽に淹れようと、1人~2人用をもってなかったので、コウノ・ピンクを買った。とても吃驚したのは、ペーパーは脇しか折らないようになっていて、しかもコウノ独特の溝がほとんどなく、淹れるとペーパーがぴたっとドリッパーについてしまう。え、ペーパーとの間に空気を入れるんじゃなかったの?浮かせるような構造を良しとしているのが、ボクの習った珈琲。買い直しか、と、諦めつつ淹れたら、何か美味しい。味がまろやかになっているような気がする。?…。偶然かと、水を替えたり、もちろんドリッパーを変えたりしたんだけど…やっぱり美味しい。何で? 理由が分からないまま、スタイルを変えた。コウノのピンク。そして豆は「はぎれ豆」。いろいろ混じっている豆。これが味がいろいろなので楽しい。OCEANRICHIというグラインダーで挽いている。グラインダーも何種類も買ったけれど、これもなかなか難しい。金属のカッターの熱で味が変わったり、パワーが足りなかったり、ちょうど使いやすい細かさにならなかったり…OCEANRICHIもやや不合格だった。パワー不足で止まる、豆が入る部分が狭く、最大でも一人ちょっと。そのちょっとが中途半端でなんとも…。手で挽くかと諦めかけていた時にOCEANRICHIの新型がでた。また駄目だったらバカみたいだと思いながらも、ネットで購入。改善されていた。問題点は。理想を云えばまだだけど、充分使える。で、今はその組み合わせ。スピーディに淹れられるし、少々乱暴しても美味しくはいる。

一つずつスタイルを変えないと存在できない。愉しめない。そんなことになっている。珈琲は今、このスタイルで凌いでいるが、じゃぁ出版はとか、ギャラリーはとか、茶製造はとか…未解決のものはたくさんあって、逃げ場所すらなく、個人でこなす能力もなく…呆然としたまま時は流れていく…。

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