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中川多理 Favorite Journalポール・エリュアール広場 2番地宮沢賢治『オホーツク挽歌』

 さて、今日、案内するのは、Passageのエリュアール通りの本棚で見つけた、宮沢賢治『春と修羅』。サハリン関連で並んでいるのだろうと想像する。「オホーツク挽歌」「無声慟哭」が直接の作品になる。『銀河鉄道の夜』にもサハリン鉄道の残照があると言われている。
 賢治がサハリン(樺太)についたのは大正十二年の夏の日。稚内から夜を徹して8時間余り、宗谷海峡を渡り、8月2日7時30分の朝に到着した。すぐに教え子の就職を頼みに王子製紙工場に向う。二時間ほどすると賢治はもう大泊(コルサコフ)から栄浜(スタロドゥプスコエ)に北上する泊栄線の車窓の人となっていた。妹・トシが24歳で死んでから約一年、賢治はトシの魂の行方を見定めるために、津軽海峡、宗谷海峡、二つの海峡を渡り、当時、樺太最北端の栄浜へ向う旅をする。栄浜で賢治はトシの魂に出会えたのだろうか。そもそも魂はどこに行くのか、どこにあるのか…私の魂は、トシについていくのか?鉄道と船を何度も乗り継いでいく同行者のない長い旅路で、賢治は、象(かたち)や風景を綴り続け、死に思いを巡らせる。
 言葉を綴るうちに心は文字を走り、走り書くうち心がまたうつろっていく。旅で書いていく、その変移もまた組み書かれている。賢治の詩/心象風景は、多声によってしかも時間の変移を組み込んで書かれている。

こんなやみよののはらのなかをゆくときは 客車のまどはみんな水族館の窓になる
(乾いたでんしんばしらの列がせはしく遷つてゐるらしい/きしやは銀河系の玲瓏(れいろう)レンズ/巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる)  『オホーツク挽歌におさめられている青森挽歌の一部。』

窓から見える風景が遷って(うつって)いく。時々にスケッチされる風景だったり、心象だったり…。(一九二三、八、四)と日付がうたれているので、サハリンに着いた翌々日には『オホーツク挽歌』はもう仕上がっている。汽車が東北を抜けてサハリンを縦断するうちの、時と風景とそれに応ずる心の有り様と、思想の有り様とが、同時に記述されている。なので、読むときは、賢治とともに鉄道に乗って、彼の風景を受諾してみたい。ちょうど2022年12月10日に桶川で、生け花(中村美梢)絵画(麻生志保)、朗読(河崎卓也)が同時にインスタレーションされる「サハリンの夜」という会が催された。
https://www.youtube.com/watch?v=Y5uEQLz1f4s
ぜひ、サハリン鉄道…賢治はサガレン鉄道と云っていた…に乗った気分になられて聞いてみていただきたい。泊栄線に賢治と一緒に乗って『オホーツク挽歌』を読む、そんな方向で『オホーツク挽歌』は読まれている。賢治の詩/心象風景は、鉄路とともにうつろい、そして賢治の中に居る、別の感覚や思想をもつ賢治の声も同時に反映されている。一編の流れの中で、さまざまな声、詩情、感情、そして声にならない慟哭のようなものが…象(かたち)に向って絡み合って、しかしながら、すうっと、糸のように流れていく。(ようにボクには思える。)賢治の云う心象風景は、心に浮かぶ形/言葉というよりは、まず象(かたち)ありき/風景ありきで…其れを記述するうちに心が流れ、声がまたそこに言葉となって射しこまれていってある形を成す…。云えば、物象が言葉を緝(つむ)ぐのではないかと…。後に書かれる『銀河鉄道の夜』も花巻からの鉄道旅程、サハリンでの車窓風景がそこかしこに反映されているのは周知の通り…

PS 桶川の『サハリンの夜』で朗読されたもう一つの作品は、『無声慟哭』で、宮沢賢治『春と修羅』では、『オホーツク挽歌』の前に載っています。トシが死んで書かれた作品です。この妹の死がどうにも自分の中で、おさまらない、おさまりきらないので、どこか、何かのカタチにおさまって欲しいと樺太/サハリンに旅するということだと思っています。大きな闇の穴が賢治をサハリンに惹いていくのです。『無声慟哭』の慟哭は、悲しみのあまり声を上げて泣くことですが、それが無声とあるのですから…もう一つ深い、声もでないほどの、身体に痛みが来るほどの嘆き…そういうものだと想像できます。しかし作品を読みますと嘆きを直接的に書いてるというよりは、死に至るドキュメントのように言葉はそこにあります。最愛の妹を失うという悲しみの場にあって…そこをありのままに記述するのは、科学者的な目です。でも心は詩人で宗教者でもあるのです。賢治の身体は、死をどのように認知したら良いかと、引き裂かれています。そのさまざまな賢治の言葉の背後に、とてつもなく闇の穴(ブラックホール)があって、それは声にもならない、言葉にもならない、まだ渾沌とした[慟哭]なのです。
 さて、宮沢賢治のこの二作は、朗読になかなか手ごわい宮沢賢治の作品のなかでも、特に、困難を極める作品だと思います。ポリフォニーとでも云えば良いでしょうか…そのために把握がしにくいところがあります。トシと賢治の傍で声を聞き、サハリン鉄道に乗って風景を見る…もしそのように朗読を受け止めていただけると賢治の作品が、そしてサハリンの不思議な力がみなさまのところに、よりとどきやすくなのではないかと思っております。

さらにPS
 サハリンを旅する作家たちは、かなりの数にのぼりますが、チェーホフと賢治を嚆矢にしたい気持ちがあります。兄を病気で失ったあと、東端をめざすチェーホフ、妹を失って、当時の日本の北端をめざす宮沢賢治。1932年日本の年号は大正に変わっている。心に大きな闇を抱え、それがゆえに旅のあとにサハリンからなにか得て…云えば、それ以降、気持ちを変えて生きていても良い/生きるのだという決意のようなものを戴いた…つまり未来へ向けて変貌したのは、知る限りこの二人、チェーホフと宮沢賢治だと。サハリンは囚人島のような過酷な場所であるのだが、それでも人を変える不思議な力をもっている場所なのです。ただし誰でもというわけでもなく、闇を現実に見るという過酷な認知をしてからの…あとは運命の力です。

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