日々是徒然。勅使川原三郎[天使]アパラタス。3.11②
2023.3.11日。
ボクは鳥越倉庫で歌人と人形を見ながら話をして居たが、勅使川原三郎は、今日もアパラタスで『天使』を踊っているはずだ。昨日、初日を見てきた。今日もまた、きっと実験をしながら踊っているだろう。
天使は、誰の天使でもなかった。云えば勅使川原三郎が作ろうとしている天使。これから進んでいく踊りの新しい軌跡としての[天使]。天使は表現のモチーフとして人口に膾炙しているが、それには全く興味がないし、そこから何かをもらうこともない。勅使川原はそう宣言していた。だから、舞台の上の天使は、勅使川原の…勅使川原が…今、模索と思索を重ねて身体からその軌跡を産もうとしている天使なのだ。
勅使川原三郎はずっと物質/物体…あるいは物語——その言葉と踊ってきた。[と]はwithのような[と]——その中に入り込み、融合し異和を発生させ…そのような[ともに]を踊っている。物語が、演奏だったり朗読だったりすることもある…。
だがしかし、今回の[天使]に[と]はない。言葉も物語も詩編も物質も——ない。何をもって踊っているのか?[虚無]か?[死]の予感か?——正直分からない。ただひとつ云えるのはどこかで、それでも未来を見ている。確信はないがなんとなくそう思う。虚無で死で、未来。
もしかしたら勅使川原三郎自身、[無]をもって踊っているのかもしれない。ふとボルヘスの老天使とかを思ったが、ボクは、首を振って打ち消した。あらかじめの下書きはないんだ。きっと…何もない。
誰でもない、誰も見たことのない[天使]。踊りながら構築し、ぐずぐずに崩壊させ…。デカダンス——。なのかもわからない崩壊の過程。でもそれは未来の構築。
踊りに言葉や物語や音符や、最近だったらドローウィング…が必要かもしれないが、今回は、それも無いような気がする。
即興とは違う。即興は引き出しの中からの繰り出しでもある。F1ドライバーで云えばポケットの中から、そのつど出してくる芸のような部分…でも勅使川原の[天使]は、そういう即興とも違う。絶対純粋の…それでいてぐずぐずになって/させている身体のありよう。
見たことのない動き…トレースされない動きの軌跡が、発出して、闇に光の線となる。何をしているか分からない…ほんとうに長いこと勅使川原を見ているが…こんな感覚を受けたことはない。もともと言葉にできない踊りなのだが、さらに言葉がない。目と感覚が辛うじて付いていく。(いや付いていけていない…かも)
エッジの崩壊、衰弱を強行する動き、私には魂がないと、晒している、その動き、その狭間…。自分ごときの言葉は無力、とどかない。早々と言葉を当てようとは思わない。このまま…ゆっくりと。勅使川原は緩やかにしっかりと天使のシェーマを彫塑していく。だろう…。
PS
ボクは、鳥越倉庫の「薔薇色の脚」に[天使]のフライヤー葉書を合わせて、歌人に話しかけた。
「私も薦められて以来ずっと見ています。天使も予約しています」歌人は答えた。フライヤーのダンサーの脚は、異様に太かった。薔薇色の脚と同じように。何のコレスポンダンス…
物語の一時停止を敢行して、創作をしている二人がたまたま、3.11に表現をしている。並べることに意味も必要もない。しかし、震災があって、原子炉が崩壊して、戦争があって、コロナがあって…この12年は予想だにしない終末の時。
だからこそ今この時期に、零次元をセットして、そこから踏み出そうとする勇気と必然。呆れるほどの凜々さを覚える。
我が身は…ちっとも及んでいないのだが…かくあるべしとは希求する。