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フラッシュメモリー20223025     『日本橋桧物町』小村雪岱

12)日本橋桧物町(ひものとはまげもののこと)

 竜泉のあたりを歩いていたら、金魚鉢に椿の花が浮いていた。黄色く沈んでいる花もあって、重なりあいが見たことのない色を醸して、冬の花なのになぜか春を予感させた。昨夜、小村雪岱『日本橋桧物町』を読んで、その一行が頭に残っていたから、見えた風景なのかもしれない。小村雪岱が見せてくれた竜泉…の冬から春への色景色。

――お歯ぐろ溝のあの黒ずんだ濁った紫の中に、紫陽花の、濃い藍、薄い藍、薄黄の花が、半ば沈み込んだ色あいは実に美しいものでした。(『日本橋桧物町』)

――吉原の花魁たちがあるいは女郎たちが、日ごとにお歯黒を流す。その紫がかった黒い水の中に、紫陽花の青が、いろいろに見えて美しい。雪岱、モノクロの絵に色を描き込んでいた。

 小村雪岱は、挿絵も良くしたが、歌舞伎や新派の舞台も作った。六代目菊五郎は自分のものにしたいくらいに雪岱にしばしば舞台を依頼し、大切に粋に愉しく共同作業をした。六代目が飲みながら芝居をどうやろうか、あーやろうかと相談している、隣の部屋で雪岱が別の締め切りを描いていたという場面が、六代目の本に書かれている。締め切り終わって雪岱が合流して、さて、今回の舞台の美術は…という話になる。

舞台やセットは俳優の演技を活かし、その作品の気分あるいは精神を十分発揮するように考案され、装置されるべきで、それ自体が観客の興味の焦点となるべきものではない。『日本橋桧物町』

雪岱は作家や主役を立てながら、それでもいろいろに工夫を凝らした。『一本刀土俵入』(長谷川伸)六代目菊五郎の初演舞台、雪岱は鏝絵を取材してきてあの二階から台詞をやる名場面の戸袋に描き込んだ。六代目、その意匠を気に入って、台詞に書いて披露したりしている。大好きな話で…粋に、クリエイティブに…というのがいいなぁと…力量あるからできることではある。

しかし雪岱、相手を立てながらと云いながら、鏡花でも邦枝完二でも描いているのは雪岱の女…。でも鏡花の女、完二の女にもなっている。

 花川戸の作業場に戻って、『小村雪岱』――物語る意匠/東京美術 をぱらぱらとめくっていたら、「星祭り」(1933年頃・肉筆)が目にとまった。盥の中を見つめている。七夕の夜、盥の水には昴をが映ると解説あるが、濃紫の水に浮かぶのは紫陽花の花弁…お歯黒の水に紫陽花の星座…それが小村雪岱の意匠ではないだろうか。会えぬ男を思うもあるが、苦界に身を投じている我が身を見つめていると私は見たい。嘆きとか…そんなものは通った先の、お歯ぐろ溝の紫陽花の色変容…。そして「星祭り」の所蔵は金子国義。遊びに行ったときに見せてもらえばよかった。そして雪岱の話などをしてみたかった。(ビデオを見ながら花柳章太郎の話をしたことはある)

自分、いつも追いつけていない。思うのは後から…。

話はとんで、夢野久作と竹中英太郎。『新青年』の売れっ子挿し絵画家。名を変えて一冊の3分の一を描いたことも…と。当時、英太郎は死んでいると思われていた。竹中労を通じて存命だと聞いて話を伺いに甲府にでかけた。紫に染めた竹中英太郎夫人は、可愛い少女の様で、描く女性に似ているなと。もちろん二人ともお爺ちゃん、お婆ちゃんですが…夢野久作が、ときどき英太郎の挿絵に、これから書こうとしているようなことを描いちゃうんだよなと嘆いたとも。しかしながら夢野久作、竹中英太郎の挿画をもって、生きている。

作家たちは、挿してくる絵の意匠に対して敬意をはらい、なおかつそれを自分のクリエイティブに活かしていたように思う。


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