ウラメシヤ通信 番外篇1 [ビニールの城]

唐組が浅草で「ビニールの城」を上演したいけど浅草に場所がないかという話を、唐組長年のサポータから聞いた。うーん、浅草か。女将さん会がなぁ。確か初演の時にいろいろあったしな。

ふと『ロイヤル』でよく出会うロック座の藤田さんを思い浮かべた。ずっと名前も誰だかも知らなかった藤田さん。ロイヤルに昼前に行けば必ずコーヒーを飲んでいた。『ロイヤル』は『アンジェラス』と並ぶ浅草の喫茶店。『アンジェラス』が文化人系だとすると『ロイヤル』は地元系。浅草でその方の大きな会があると北関東ナンバーの黒い車が横付けされて、中に黒い服のガタイの良い人たちがいたりする。でも堅気だよって感じを一生懸命出してでコーヒーを飲んでる。そんな浅草はけっこう嫌いじゃない。
あいつ裏切り者だからたたんじゃっていいですよね。いや、いま絞めちゃうと貸している金戻らないだろう。それにしても明治座の演出まずいよな。演出家変えたのは失敗だったな。というような会話を交わしていて、誰って、思ったけど、仕事しているふりをしていた。顔役的な人、紳士感があってかっこいい。

『ロイヤル』のロワイヤルコーヒーは、元々ミルクが混ぜっている。言えば京都・イノダのコーヒー系。『ロイヤル』はいろいろに美味しいものもあるけど小豆のホットサンドとか。で、これまたよく行く『ヨシカミ』のカウンターに坐ってマスターと話していて話は丼ものになった。京都のラム丼、浅草『あずま』のレバ丼…『あずま』は先年火事を出して、今、休業中。京都のラム丼の店は閉店した。『あずま』と仲の悪い兄弟のやっている『紫苑』にもレバ丼のメニューがある。その『菜苑』も千束通りの再開発であっさり閉店。というところで……
『菜苑』は千束通りマツキヨの裏で再開しているよ。ありがとうございますと、答えて振り返ると、『ロイヤル』の人。誰?とあとでマスターに聞いたら知らないの?ロック座の藤田さんだよと。お母さんの藤田さんは、戦後の浅草の文化?を形成したドン。

ぐずぐずしているちに『ビニールの城』は上演になった、明治大学の敷地にテントをはった唐組の『ビニールの城』を見に行った。「ビニールの城」、常磐座の初演を見ていて、先日、金守珍演出の蜷川追悼の上演を見てもの凄くがっかりした。金守珍の新宿梁山泊は初演の頃から良く見ていて、初期の戯曲を二冊出版するくらい入れ込んでいた。

「ビニールの城」の評を書く機会があった。
「ビニールの城」は、1985年に唐十郎が劇団第七病棟に書き下ろし、浅草常盤座で上演された。大掛かりな仕掛けと石橋蓮司の熱演ともに演劇史に金字塔を打ち立て伝説となった。蜷川幸雄も上演を熱望して準備が進んでいたが上演は亡くなった後だった。「下谷万年町物語」も含めて唐戯曲の蜷川演出は、蜷川さんのアングラへのオマージュと嫉妬があって、なかなか面白い。オマージュといっても俺は商業演劇だからという大鉈を振る感じ。でもリスペクトは120%してるよって感じ。ちょっと見たかった。
初演も、蜷川版も見たが、今回、同じ戯曲なのかと思うほど印象が違うので驚いた。久保井が第七病棟の外連味ある演出とは異なる、戯曲に寄り添った演出をしていて、唐十郎の戯曲の世界観をよく引き出していた。
「ビニールの城」はには腹話術の人形が出てくる。ロマン主義テイストの作品を書く唐十郎だけど、所謂人形愛的な要素はない。人形の役割をする人には興味あるけど人間としての役割を果たす(つまりひとがた)にはそんなに興味がないだろう。人形師四谷シモンが在籍していた状況劇場だけど、シモン自体が人形的であってプラス人形は必要がない。そんな有り様で、だから人形がでてきてもちょっと萌えない。そんな印象だった。
今回ほど唐戯曲の言葉やその世界の魅力を感じたことはなかった。四畳半に棲む人の妄想が、どんどん人に伝染して、町に拡がって、次第に不可思議な大きな世界になっていく、その唐世界がリアルに伝わってくる。ゆーちゃんとの三角関係なんだな。腹話術人形、ビニ本の女、そんなオブジェだったり、写真だったりする存在が人間に化身して関係を作る、そういう物語なんだと、はじめて気がついた。(遅い!)
唐十郎は、戯作、演出、俳優と三役で劇団を引っ張っきた。特に独特の台詞回しと身体の動かし方で唐十郎の演劇を作り上げてきた。今は、唐組はそこから少し離れているように見える。しかし、逆に、台詞は非常にはっきりと交わされ、戯曲の奥に込められている囁きも伝わってくる。
唐自身も石橋蓮司も蜷川幸雄もスペクタクルとして描いた唐戯曲の世界が、役者の演技と言葉によって丁寧にそして深く描かれている。物語のロマン主義的な要素がしみじみ伝わってくる。
唐十郎の、代表作を久保井の演出でもう一度上演していくのは非常に意味深い。戯曲を現在の視点でもう一度、体験することができるからだ。それは久保井が外からの目と、唐の内的な目を両方もっていて、若い役者を引っぱっているからだ。なかなか難しいアングラ演劇の継承がこれならできるかもしれない。いろいろな意味で目の覚めるような公演だった。
と。書いた。

人間の先入観念は大きい。あと最初に擦り付けられた印象も大きい。そこから逃れられない。でも作品はどんどん変化していく。それをちゃっんと見て愉しまないとなと……思う。

初日なのですぐ側で唐十郎が見ていた。山場になるとぐっと身体を乗り出す。お、ちょっと危ないという絡みが滑りそうになると、のけ反る。僕が見ているのとおんなじ酔うに。唐さんこの演出でいいんだ、いやこれなんだ。と、尊敬の念をもった。
「ビニールの城」には浅草という地名がぽんぽん出てくる。あー、裏浅草で上演したというのは分かる。雰囲気も塔下だからなぁ。

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