裏浅草通信/弁天/コロナにかかって味覚が…。
昨年12月、師走の中頃にどこからもらったかコロナに罹り、熱と頭痛と咳と筋肉痛に苦しみ、深夜訪問の医師の世話になり、どうにか自己隔離で山は越えたが、年が明けても咽になりやら棲みついたようで、ぐずぐずと後遺症を引きずっている。なりより気にかかるのは、少々ではあるが、味覚障害を起し、それが自分にパニックを起しかけて、そのことに戸惑いを覚える。味覚障害は、苦味をより強く感じるという症状だと自己判断している。もともとは苦味に弱く、弱いと同時に舌の感じ方も鈍かったような気がしている。嫌なものを排斥していたのかもしれない。
苦味を強く享受するようになると、まずは、今まで飲んでいた珈琲が、飲めなくなる。今まで通っていた…味を記憶している店を何軒も何度も廻りながら、繰り返し苦味を感じて、これは本当に味覚がずれたなと実感するにいたった。余りにも哀しいので、湯の温度を下げたり、濃さをおとしたりしながらコロナ味覚用の淹れ方を工夫している。濃度を落とせば苦味は減るがその分、味の深みのなくなって、自分的には哀しい事態になっている。
珈琲以外では、蕎麦の汁が強過ぎることになって、池ノ端薮育ちのボクとしては、汁を濃いなんて思ったことはただの一度もないのに、雷門薮で、ひぇっ、濃いという有り様。尾張屋からおざわから立食い蕎麦まで試したが、味は濃い、強い方へシフトしている。どこも。もちろん自分のコロナ舌のせい。困り切って、浅草で甘い汁はと、人に会うたび、聞きまくって『弁天』に辿り着いた。浅草にだいぶ居るけれど初弁天。ざるともりとで汁の味が違うと、聞いていたので、甘いほうのざるを頼む。あっ、ちょうどいい。やばいなボクの舌、ボクの味覚。
地元の人で賑わっていて、ごろごろと牡蛎の入っている蕎麦やはまぐりの入っているのもある。ごろごろだ。季節にはマツタケもごろごろするらしい。カレー丼などというものも。ひとつずつ試していくか…。そうこうしているちに、治れば良いが、どうもそういう結末にはならないような気がする。折り合いをつけながらの余生か…と、ふと、少しだけ哀しくなる。23年は、『弁天』贔屓ではじまることになった。
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