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裏浅草ウラメシヤ通信202203    Cafe Elle/カフェエル


そんなに通っていたわけではない。

「ハンバーグが旨味しいよ」と、云われて行くようになった。1年くらい前のことだろうか。別の人は、サラダがバランス良くて美味しい。それだけを出前してもらったりする、とも。

僕が、店で頼むのは、まず、エスプレッソ。ビアレッティ エスプレッソメーカーで淹れるエスプレッソ。オレンジの皮をちょこっとナイフで削いで、スプーンの上に乗せて出してくれる。もしかしたら今や、日本でここでしかないかも…とか思ったりする。自分でその欠片をエスプレッソに入れて好きに味を調節する。このタイプのエスプレッソ…思い出すのは、何十年か前の巴里のアパートメント。マレー地区の日本人留学生が屯していた居たアパートメントでは…瓦斯がないので、電熱器で何でもやる。パスタ作ってと云われたけれど、電熱器一つじゃできないよ…(でも作りましたけど…)部屋は日本よりも狭い兎小屋、三階建てでもエレベーターはない。螺旋の階段。貧乏な留学生だからかと思ったら、みんなそう。それが巴里。1920年代なのかな…古い街区はすべて…朝は、若いカップルだったらジャンケンして負けた方が、バケットを買いに行く。パン屋で焼き立てのを手に入れて、いそいそと戻ってくる。で、ミルク珈琲を飲むんだけど、エスプレッソにミルクじゃないと駄目。珈琲も決まっている。(銘柄は忘れた)エスプレッソは、直火の、ビアレッティのエスプレッソメーカーで淹れる。(こんなメーカー名の云い方じゃなかったような気もするが…)そして、浅草で云えばペリカンのパンのような、ロバのパン屋というのがあって…なぜかそこがナンバーワンだった。今はもちろん店に買いに行く。ロバが引いて町売りするパン。(日本でも古くはロバが引いてパンを売りに来たと云う人がいるけど…ほんとかな…)巴里にはパン屋さんはもの凄くたくさんあって…で、毎日、毎日、パンを買いに行く。で、一日経つと、かりんかりんに水分が抜けちゃう。もったいないからそれを食べる工夫が、フレンチトーストね。とにかく巴里っ子は毎日毎日、それを繰り返す。今知らないけど、その時はそうだった。余りに保守的で、余りに意固地…でも気取っててスタイリッシュ。それが巴里。巴里に住んでる外国人。

ちなみに、自分が学生の頃、日本でエスプレッソが飲めたのは、合羽橋・ユニオン、日本橋高島屋地下、京都『ちきりや』。どの店も通いました。はい。あ、VAN99ホールにもあったな。Caffe Espresso 356 というカウンターのカフェ。ここもエスプレッソ目当てで通ったっけ。その頃の日本のエスプレッソ文化と古い巴里の感覚…日本人が受けとめた…を持っているのがエル。おかみさんで巴里。いいんですよ。このバランスが。ハイカラ・浅草。たぶん、だから、直火式エスプレッソ。

で、もひとつ美味しいのが、海苔トースト。発祥は神田だとも云われているが、エルも相当に古い。昔のお客は、久保田万太郎、えっ? 近々のお客には、半村良。向かいのマンションに住んでいて、毎日顔を出したとか…ここを基点に浅草の話を書いた。『浅草案内』えー。

お客さん何している人? あ、来た。たまたま持っていた夜想#山尾悠子特集を見せた。雑誌作ってます。でもいろいろやってます。「へー、なんか難しい本作ってるのね?」…ニコニコ。そんな感じ。二回目あたりの訪問で1回聞かれて、あとはほっとかれる。優しくねほっとかれる。浅草の最高。最近ちょっと『鬱』なので、優しいマスターと奥さんに気を使わせてはと少し足を遠のけていた。そしたら…2月15日に突然、閉店してしまった。頭が真っ白になった。カフェ閉店して茫然となるのは、久しぶり。『アンジェラス』以来か。『エル』に失礼だけれども、『アンジェラス』のような有名店ではないので、閉店もひっそり。知ったのもちょっと経ってからだった。茫然と店の前に立っていたら、マスターが声をかけてくれた。(裏に住んでいる)

で、「やめちゃったんですか?どっかで…やらないんですか?」と、矢継ぎ早に聞いてしまった。

おっとりした話っぷりで、事情を話してくれた。こんなご時世しかたがない…事情はいろいろ、そしていくらもある。

でも残念、海苔トースト…エスプレッソ…とかぶつぶつ。あ、ハンバーグも食べてなかった。

「またどこかで会えたらきっと声をかけてね。」マスターは帰りがけの僕にわざわざそう言った。

「はい、もちろん」胸がちょっと痛かった。そしてちょっと暖かくなった。浅草だな。


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