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日々是徒然 下血篇③

下血が止まったので、退院することにした。あとは、自分で療養。
それでも、体調が整ったら、精密検査をするから必ず来るようにと日程まで決められた。(何か病の気配が残っているんだな…と実感)
会社に戻って、育成中の茶の木の様子を見に屋上に。草を毟ったり水をやったり10分ほど…、まだ病み上がり、いやまだ病み上がらないままだから、と、軽く軽くと言い聞かせて、早めに終えて階段を降りていくと、と、ぎっくり。腰がぎっくり。あたたた、経験したことのない痛み。腰砕けになる痛みが腰を横断していく。あ、あ、歩けない。

そうして、一日経っても痛みは治まらない。腸もなんとなく動いていない、消化のよさそうなものをおずおずと食べているが、全然、便通がなくまた不可思議な便秘状態になっている。この歳になるまで便秘なんてしたこともないので、こっちはこっちでちょっと不安。このままではまた虚血症大腸炎が再発する。間違いなく。

施療が上手な整骨医院があるよと人づてに聞いて、予約を入れた。そしたら颱風が来た。が、そんなことを配慮している余裕はない。
雨の中を駆けつけた。道をだいぶ迷った。金美観通りの先。医師は若い人で、さわさわと、触るだけの治療(?)でも何となくいけるかもとの予感があった。ずっとずっと以前、ヨーゼフ・ボイスの整体師だったHに治療を受けたことがあった。10年近い昔のたけしが、首かくかくってやるような感じに自分がなっていた。そんなほどけない肩凝りをしていて、10分に一回くらいかくかくってしていた。
「どの位かけて直しますか?」と、Hに聞かれ、「あっという間に」と答えると、分かりましたと、肩に痣がつくほどに強い指圧をした。「10年分が一週間目処ででますから…熱とか鼻血とか。一気に抜くとそういうリアクションがでますと。」で、肩凝りはその場で消えて、にこにこしていたら、突然、一週間後ぐらいに、何の前触れもなく、大量の鼻血がどばっと出た。あ、これか! で、それ以来、重篤な肩凝りはでなくなった。Hの話は、まだいろいろにあるのだが、ここでは置いておいて…。そんな感じの整体師に思える。ただしこの方は、さわさわ系。

腰の治療は、腰から遠いところをさわさわと触って、痛みの反応をみつつ、痛ければ、もう一度、離れているその部分を触るとという繰り返し。最後に頭蓋を触って、「どうですか?」「左の頭を触ると、ちょっと腰に響きます」「はい、では」さわさわ。この人、やっぱゴッドハンドかも…。「ストレスかもしれませんね。ちょっと一番近かった嫌なこと怒ったことを思い起こしてください」「あ、ちょっと無理です」「じゃぁ愉しかったこと」「ずっとないですね。記憶にも残ってないです」「では、何も考えないってできますか」「あ、できます」と、頭を無にした。何も考えないって、最近、楽にその状態にすぐなれる。認知症になっているのかもしれない。考えることがいっぱいあるから、苦しくなると切り替える。その間の時間は、自動的に無になる。それを想定してやってみた。「いいですね。じゃぁ身体に封じ込めているストレスをはらしていきます」なんかいい感じ…。

ギャラリーのパラボリカ・ビスで、境界線人格障害の人たちの攻撃を受けて、岡田尊司さんの治療を受けて、相手の感情をできるだけ受けないような距離をとりつつ、引退することにした。撤退戦だ。その撤退にもだいぶかかった。何年も何年も。その過程で受けた攻撃は身体の中に封印して、そのことについて思わないようにしていた。だから感情は、極度に低下させている。なので、嬉しいとか、哀しいとかできるだけ、起きないようにブロックしている。でも攻撃を受けたストレスは、おそらくたまっているのだろうとは、思う。
たぶん、そんな僕の心の状況に興味をもったのかもしれない。いろいろ僕の質問に答えながら、参考資料とか、タッピングの技術とかを教えてくれた。脳=大腸の辺りにかかったストレスをどうするのか、脳の細胞を間を解放すると鬱が治るのか…?混乱するくらいの考へる課題が、寝ている僕の上に降ってきた。混乱するほどいろいろな端緒を教わった。まだまったく未消化なので、ここには書けない。そうして、1週間に二三回は、通うようにと遠回りに示唆された。
取り敢えず、しばし、脳の訓練をしてみようと考えた。腸も同時に。
そうして最初に読み出したのが、『腸がすべて』フランク・ラポルト=アダムスキー。腸活メソッドとうたっている。第一歩の本としては上々な感じ。

ブロックしてある何かの壁か窓が開いたような気分で、会社に復帰した。まだまだ、腸は動かないし、検査はまっている。腰に痛みは残っているしの状態ではあるけれど。気分だけは少し開いていた。それで、進んでいたプロジェクトで、喜んで話をしていたら、翌日進行キャンセルがされた。けっこう、今までうっ積していた自分史というものをどうにかできると期待をしたのだが、調子にのって話し過ぎた。
最近やっているように、蓋をするのが、正解なんだと、つくづく身体が痛くなった。もういい。人の誘いにはもう乗らない。
もう終活に入っているんだから、昏く静かに身を送れということなんだと自戒した。内部マイペース。厳守だ。如何にそれが昏くても。

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