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明日は仕事、行きたくない。なんとなくつらくて仕事を休んだ

連休明けの出勤日。
仕事は忙しくて、終日外に出ていた。重いパソコンを持って移動して、電車の中でもパソコンを叩いた。県を跨いで移動して、片道一時間半以上、移動が苦手な私はそれだけで疲れ切った。

帰宅しても仕事をしなければとパソコンを開いて、上司からチャットが届いた。いつもだったら「気を付けます!すみません!」とさらりと流せるような軽い指摘。
それなのに、見た瞬間動悸がして、息が苦しくなって、全身に力が入らないような感覚になった。

身体が疲れているから気持ちが引っ張られるんだ。そう言い聞かせて、ひとまずベッドに入って目を瞑ることにした。少し時間を空けても変わらない憂鬱な気持ち、彼がごはんを作ってくれて、メソメソしながら胃の中に食べ物を入れた。

「明日、仕事行きたくない。」

ぽつりとつぶやいた言葉で実感を持った。糸が切れる。

上司の言葉が理由じゃない。仕事の対応が嫌だったわけでもない。私は仕事がどちらかというと好きだし、やりがいを持っているし、働いている周りの人たちのことも好きだし、大切にしたいと思っている。大きな不満があるわけではない。でも、なんかダメになりそうなのだ。

きっと、やれてしまう範囲のしんどさが積み重なったのだと思う。関わる方の人生を考えること、一緒に働いている人の育成をすること、数字を追うこと、自分の立ち振る舞い、ひとつひとつは全然、少し背伸びしたら出来ることなんだけれども、たくさん積み重なると限界を超えてしまう。

「明日は休もう」。

そう決めようとして、でもそんなことで休んでいいのかとか、弱いやつだと思われたらどうしようとか、罪悪感もいっぱいで、絶対休むと決めきれないまま、眠った。

結局、朝起きて、電話をして、休んだ。

12時くらいまで眠って、お昼にポテチを食べた。Youtubeを見て、twitterを見て、気が向いたから秋服を引っ張りだして衣替えをした。近くのリサイクルショップに行って服を見てブラウスを買った。お味噌汁と牛丼を作った。なにをしたわけでもないけど、ずっと悲しい気持ちだったのが少しずつ和らいでいった。

私にとって、いっそ体調不良になって休みたいと強く思うときは、休んだほうがいいのサインだと思う。疲れれれば疲れるほど視野が狭くなってしまって、一度休んだらもう戻れなくなりそうで、休むことが怖くなってしまうけれど、休んだら、たぶん、たぶん、ちゃんと回復する。

まだそれを信じ切れていない自分もいるし、過去を振り返ると、あの時休んでしまわなくて良かったと思う日もある。頑張ったから信頼を獲得して今の自分があるわけで、やっぱり休まないほうが良いよ、と思う自分もいる。
どちらが正解かはいつもわからない。次もつらくなったら休んでいいよなんて、まだ言ってあげられないけど。
とりあえず、今回は休んで良かった。良かったよ。

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