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夏の終わり、幸せになることについての雑記

9月になった。
また暑い日はやってくるだろうけど、朝晩はすっかり涼しくなって、明るかった帰り道は薄暗くなった。
夏にいつも買う美酢は今年2本目に突入していたけど、まだ半分以上残っている。早めに飲まないと飲み切るタイミングを失うだろう。

夏が終わる。今年も花火は見に行けなくて、バーベキューもできなかったし、プールにも行けなかった。ただ、海に行ったし、ラムネを飲んだし、スイカバーを食べたし、ベランダで晩ごはんを食べた。旅行にも行けたね。

去年も一昨年も、夏は淡い恋をしていた。去年はホストみたいな金髪の男の子と連絡を取って、「僕は君といる資格がないんだよ」と言われながら川辺でご飯を食べたりした。一昨年は生きるのがまだつらくて、だから同じような人を引き寄せて、痛々しくて狂いそうでよく泣いていた。あの頃会ったひとたち、今頃どうしているんだろう。別に嫌いになったわけじゃない、どうか元気でいるといい。

何も変わっていないようで、いつのまにか変わったのだと思う。
私がぐいっと変化したわけではなくて、環境と、出会う人と、そして私のタイミングが相互に作用しあって、今の生活があるのだ。
もしも今の暮らしが壊れてしまったら、また前のような不安定な自分に戻ってしまうのではないかと、少し不安になる。前の自分も刹那的で美しかったとは思うけれど、常に自傷的だったから。

朝起きたらいて、夜ご飯を食べる、平凡なゆるやかな生活。ずっと続いていってほしいと願いながら、ずっと続かないんじゃないかと怖くなる。世間の価値観でなく自分の価値観で生きたいのに、世間なのか自分なのか見分けがつかなくなることがよくある。

幸せだと悩むことが怖くなってしまうことに気づいた。自分はこんなに満たされているはずなのに、どうしてこんなくだらないことで悩んでいるんだろう、と。
不幸せの中にもきらめきはあるし、幸せの中にも陰はある。
全部幸せ最高なんてバランスとして怖くなってしまうから、
どちらかといえば生きてるの楽しい、くらいを目指すのがちょうどいいのかもしれない。

生き延びることで必死だったはずなのに、いつの間にか生き延びようと思わなくて良くなった。がんばって呼吸をしなくても、自然と呼吸ができることが増えた。
一年後のことなんて考えられなかったのに、五年先、十年先のことを少し考えるようになった。ひとりで生きていくと思っていたら、考えられないことだった。
ずっと、生きるのが苦しいままなんとか生きていくんだと思っていた。軽やかになれて、ほんとうに良かった。幸せになってよかったんだ。

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夏の思い出

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