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何ででしょうね?

誰かになにか尋ねられると、言葉がうまく出てこないことはよくある。

その時の流れで何となくな上っ面で答えたり、考えるのもまぁいっかと思って「どうなんでしょうね?」とか曖昧なことを言ったり…そんな躱わし方は幾つも覚えたのだけど、ちゃんと言葉にしてみたくなってることが幾つかある。

ー仕事のこと
「何で手縫いなの?ミシンと違うの?」「手織りじゃなくて機械織りでもいいよ?」
これはよく言われる。

私の中では大きな答えはあるのだけど、一言では答えにならない。
だけど全部答えたところで、他人に半分も伝わらんだろう表現力しか持ち合わせてない気がして。。。まぁいっか、と逃げるように何となく収まり良い部分だけを伝える。突っ込んで質問されないような言い方をあえてしたりして。

でも、この先の新たな目標設定が出来てきたので、このことを辿々しくても伝えられるようになりたいと思った、私なりの言葉で。

私が取り組んでいる手縫いや、養蚕〜手織りについて、今思い浮かぶテーマを挙げてみる。
上手くまとまるか分からないけど、一個ずつ言葉にしていこうと思います。スローーーペースですが。
・大きな対等としての自然性
・優しさ美しさと生産性の関係
・心の尊重とスピードの関係

また最近、手縫いで仕立てたものを納品した先のお店へ"経歴のようなもの?"として紹介させてもらった文章がある。私の紹介文として使ってもらえる予定で、自分でも気に入ってるのでnoteにも記しておきたいな、と思います。そのうちに、気が向いた時に書き換えるかもしれないですが。。。たぶん書き変わります、そのうち。

1989/9/27 福岡県生まれ

10代後半から、織りや養蚕、洋裁・和裁など、繊維や布に関することを学ぶ。 20代終わりから京都で法衣縫製などを学んだ後、手縫いのみの縫製で布製品 を製作をしたくて個人での製作を本格的に始める。現在は長野県◯◯市の伸びやかな土地が拠点。

3~4歳の記憶に、母が手作りした服やバッグが嫌いだった、というのがある。手先は器用だけど、せかせか忙しいのが常の母で、作る時も同じ。幼い私はそうやって作られたものに、居心地の悪さを感じていた気がする。
あの頃、母がゆったりとした心で縫い物を本当に楽めていたなら、私は今でもその母の手作りの布物を大切に使ったり愛でたりできてたんじゃないかと思う。

"豊かな楽しさ" "緩やかな心地よいスピード感"

繊維・布・針仕事という細かな世界に入り込んで、繊細な世界に想像を膨らませものを作っていく仕事に、そんなことを感じています。

経歴のようなもの? 初版

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