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むかしのひと

わたしが関係のあった、どうしようもない男性は事ある事にこう言っていました。
「男の煙草は大嫌いだが、女の煙草の匂いはたまらなく好き」

その男性は無類の女好きで、先日抱いた女の話やナンパの成功談、たまに失敗談も、わたしを抱いたあとのベッドの上で笑いながらする遊び人でした。

常に桃の香りを纏っていました。
毎月彼と部屋でふたりきりになる関係を三年以上続けていたのに、彼が香水を体につけるのを見たことがありません。
誰からも嗅いだことのない、目がとろけるような甘い香りです。
どこで買っているのかと何度も尋ねましたが、何も言わず静かに微笑むだけでした。
デパートで有名なブランドのもの、聞いたこともないもの、いくら探しても見つかりませんでした。

彼との待ち合わせはとある繁華街の駅前の喫茶店でした。
そこで早く着いた方が、ドアに一番近いカウンターの席で煙草を吸って待つのがお決まりの待ち合わせ方です。
彼の煙草を吸いながら足を組んで待つ姿といったら、それはもう言葉にできないほどの色気でした。
その姿を見たかったので、先に着いた方がといっても、いつも待つのは彼です。
そして喫茶店でしょっちゅう冒頭の言葉を呟くのでした。

「おれはオンナが死ぬほど好きだよ、死ぬまで好き、死んでからもきっと好きだ」

そこまで何かを好きだと言い切れるものが私には無かったので、とんだ好色男と卑下しながらも、内心とても羨ましかったのを覚えています。

彼との関係は突然ぷつんと終わりました。
どちらが終止符を打ったかは分かりません。
なんとなく、終わりました。
お察しの通り彼は明け透けな女好きなので、ふたりで幸せになりたい、私ひとりのものにしたいなど思ったことは三年間で一度もありません。
けれど私の体に一番染み込んでいるのはあの男でした。

喫茶店は全席禁煙になりました。
桃の匂いの香水は未だに見つけられません。
ただあの妖艶な男は、きっと今もどこかで甘い匂いを纏いながら優しく女の肩を抱き、繁華街の奥へと消えているのです。

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