そこには「深い闇のようなコンプレックス」が隠れていた

ぴよ🐥です!今日もありがとうございます(^_^)

今日は自分のコンプレックスについて。皆さんは、自分のコンプレックスを受け入れられてますか?愛せていますか?そもそも、それって本当にコンプレックスですか?

私は髪型にこだわりがある。昨日のnoteでも分かるように、髪型が嫌だと自分の全部が嫌になるぐらい。ふと、なんでこんなにもこだわるのか気になった。そしたら、その背景には見たくもない深い闇のような外見コンプレックスが存在してた。それがいつの間にか極めて強い劣等感になり、恋愛における「私なんか」という卑屈な姿勢を作り、勝手に相手を悪者(外見で判断するような性格悪いやつ)にしてた。そんな自分も自分。きっと深い闇を公にさらせば、少しは闇が浅くなるかなぁと思ったので、書くことにした。

深い闇のような外見コンプレックスは、こんな出来事たちによって出来上がってきた。
●高校生の頃、恋い焦がれていた先輩が可愛い女子高生と付き合った
●大学生の頃、マネージャーをしていて可愛さによって対応が違った
●転職後に感じた仕事の成果ではなく外見で評価される風潮

特に、3つ目が衝撃的だった。こんな世界があるのかと目を疑った。そして、段々その衝撃度合いが強くなってた。都度都度登場してた「人は外見で判断される」って価値観が3回目では「人は外見でしか判断されない」ってより強固になった。
本当は全部自分が比較したり、勝手に目の前の事実をねじ曲げて解釈した結果として作り上げたものだった。

そんな中、あることに気づいた。


それは「自分が一番自分の外見をコンプレックスだと思い否定している」こと。
そして、もっと嫌なのは「自分が一番、周りの人を外見で判断している」こと。


全員に好かれることは無理。それよりも「私だからいい」とって言って自分の周りにいてくれる人を大切にしようと思った。
前職や取引先の人の中には「●●さん(私)の笑顔が見たいから」という理由で、頑張って働いてくれたり、用事もないのに足を運んでくれる人がいた。そこに目を向けていきたい。

人生はどこに焦点を当てていくかによって、全く違った景色になるんだね

…てか、外見をコンプレックスって思うって、めっちゃくちゃ両親に失礼だよね!父親は目がぱっちりしててえくぼがあって赤ちゃんみたいに可愛いし、母親も目がぱっちりしてて小顔でお肌キレイなのにねー!

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