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灯台の日

1868年11月1日、神奈川・横須賀市に日本初の洋式灯台の建設がはじまったことを記念した。

 ドリームズ・カム・トゥルーの歌に、「星空が映る海」がある。灯台のあかりが、光と闇を交互に投げかけてくる夜の海を恋人と眺める。リア充満載の歌である。その海までのドライブがやはり素敵に思えるのである。
 さて、1512年の11月1日には、システィーナ大聖堂の天井画が公開された日でもある。このフレスコ画は、ルネサンス期を代表する作品になったのである。

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4年の歳月を費やして描かれた壮大な作品にはどんな意味がこめられているのだろうか。そこにはまさに光と闇、陰影を彩る物語があるのである。

ミケランジェロがジュリアス2世からこの事業を頼まれたのは24歳で、その頃彼は絵画というよりむしろ彫刻の才で世界に有名な人物であった。命の消えた息子を抱く聖母マリアを優しく表現した”ピエタ”は彼の有名な作品であったし、ダヴィデ像は彼の技術の習得が素晴らしいことを人体の彫刻を通じて明らかにした作品である。

Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni était surtout reconnu pour ses talents de sculpteur lorsque le pape Jules II lui demanda d'illuminer la chapelle Sixtine. Connu dans le monde entier sous le nom de Michel-Ange, le Florentin n'avait que 24 ans lorsqu'il a sculpté sa célèbre « Pietà », une tendre représentation de la Vierge Marie sur laquelle repose le corps inanimé de son fils. Son imposant « David » avait révélé sa maîtrise de la sculpture des corps humains.

大理石を彫り込んでされる数々の美術作品があまたあれど、記憶に残るのがやはり、彼の色彩と絵筆の才能である。システィーナ礼拝堂のフレスコ画「最後の審判」は、画家としての天才の証言しているのである。

Malgré le talent et la beauté de son travail du marbre, c’est peut-être sa maîtrise des pinceaux dont on se souvient le plus. Les couleurs vives et la composition saisissante des fresques de la chapelle Sixtine impressionnent encore les spectateurs par leur puissance et leur émotion. Le plafond de la chapelle Sixtine et le « Jugement dernier » témoignent du génie de Michel-Ange en tant que peintre et de son évolution en tant qu'artiste.

システィーナ大聖堂の天井画が完成した1512年という年は、プロテスタントによる改革のほんの少し前であった。マルティン・ルターの改革がヨーロッパ中に影響を与えていたため、西側の壁の「最後の審判」はおよそ30年間ベールに包まれていた。フレスコ画は、すべて当時の影響を受けたもので、ルネサンス期の人体への称賛、富と信仰の緊張、そして、聖書の物語の活気に満ちた描写である。

Le plafond de la chapelle Sixtine a été achevé en 1512, un peu avant la Réforme protestante. Sur le mur ouest, la fresque du « Jugement dernier » a été dévoilée près de trois décennies plus tard, alors que les effets de la révolution de Martin Luther s'étaient propagés dans toute l'Europe. Les deux œuvres reflètent l'esprit et les thèmes de l'époque : l'amour de la Renaissance pour le corps humain ; les tensions entre la richesse et la foi ; et surtout, un rendu vibrant des grandes histoires de la Bible.


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エリアーデが「宗教史」において、イタリア初期の人文主義者の間で、スコラ哲学を去り、教父の伝統に回帰する新しい宗教的な方向を定着させていると述べている。すなわち、ヘルメス文書を紹介したフィチーノやピコ・デラ・ミランドラは非聖職者であって、聖職者のほうが非キリストとキリスト教との融合をうまく果たせると考えたのである。つまり、ヘルメス的な予言のいくつかは、イエスの誕生を予言するものであったと解釈し、ゾロアスターや、カバラといったものへの神話的憧憬は、結局のところエジプト・アジアにおける原初の啓示をそこに発見して、人類が普遍的な歴史を共有できることを示す手段に過ぎず、哲学的な裏付けを人知の及ぶあらん限りの力で行おうという意志が強く出た時代であるといえよう。マルティン・ルターの宗教改革もこの枠組から産まれてきたのである。

 思想的な地層ではそうした原初回帰が沸き起こっていた時代に、ミケランジェロは非常に世俗的な、つまりは戦争と権力が大好きなジュリアス二世に召喚されるのである。おそらく表立っては材料費の不払いが理由で、おそらく裏では思想的な対立によって、ミケランジェロは一旦ローマを立ち去るのである。しかし、ダヴィデ像を作り上げた天才に自分の墓を描かせたいジュリアス二世の欲望の沸き起こりが再びミケランジェロをローマに呼び戻すのである。

La tombe papale, que le biographe de Michel-Ange Andrew Graham-Dixon a qualifiée de « fantasme mégalomane, de monument obscène à l'ego, à la fierté et au pouvoir », n'en était pas moins une commande. Après de violents échanges avec le pape à propos du non-paiement des matériaux, Michel-Ange a quitté Rome dégoûté. Conscient de son erreur, Jules II insista pour que l’artiste continue de travailler pour lui et le somma de reprendre le travail sur un nouveau projet séduisant : les fresques du plafond de la chapelle Sixtine.

このやりとりには、しかし、いろんな要素がやはりあるのである。ミケランジェロは、実はフレスコ画を描いた経験がなかったのだ。彼は15歳のときに、メディチ家のために、すでに彫刻家に転向していて、絵は習ってはいて、そういった依頼がありスケッチは描いているものの、実際にはやってないのだ。ミケランジェロ自身、自分は彫刻が専門であると不平をもらしていたと、ブラマンテはいう。

Bramante n'a pas tardé à se plaindre du manque d'expérience de Michel-Ange pour un projet d'une telle complexité. Michel-Ange avait appris le métier de peintre dans l'atelier de Domenico Ghirlandajo à Florence, où il était entré comme apprenti à l'âge de 13 ans. Mais il n'avait jamais vraiment travaillé en tant que peintre, il s'était plutôt tourné vers la sculpture pour la famille de Médicis dès l'âge de 15 ans. Il fut chargé de peindre une fresque de bataille pour le Palazzo Vecchio de Florence et même si certaines de ses esquisses pour cette œuvre ont survécu, les fresques elles-mêmes n'ont jamais été peintes. À diverses occasions, Michel-Ange a mentionné ses propres faiblesses, avertissant que son véritable talent n'était pas la peinture, mais la sculpture.

そうした、完成までの作業に関わる壮大なロマンはNationalGraphicの記事に一旦譲るとして、このフレスコ画をどういう思想で描いたのかについてちょっとだけ触れようと思う。
この天井画は第一に、”教会の再生”というテーマを持っていたのである。そこでは、エギディウス、サヴォナローラ、フィオレのヨアキムなどの思想家と、そしてミケランジェロ自身の共有事項であったのだ。いわゆる三位一体の思想が根本にある、神による子すなわちキリストの創造、聖霊による教会の創造である。さらに教会は3段階の過程を経て次第に終末に向かい、教会は危機を迎え、アンティキリストが出現し、さまざまな厄難を受ける、この厄災を救済するために、天使のごとき司祭が現れ、地上において1000年だけ王国を築くというものである。教会の堕落を見たときに、まさに教会の再生が希求されたものであり、そして誰もがフィオレのヨアキムの教会史を想起した。マルティン・ルターもその流れの一人である。

1990年にこのシスティーナ天井画は修復作業を行っている。そのときにミケランジェロの筆致が明らかになった。よくみれば、カンジアンテ(玉虫色技法)とキアロスクーロという2つの筆法を使っているのである。
明暗、光と闇の描く技法であるが、カンジアンテが色彩でそれを表し、キアロスクーロは白と黒 コントラストでそれを表す。
修復されたフレスコ画の筆致には、1.旧約聖書を描く場面では、キアロスクーロが用いられ、2.預言者を描く場面では、キアロスクーロとカンジアンテを用い、3.先祖・英雄を描く場面ではカンジアンテのみが使われていることがわかったのである。
ミケランジェロが筆に込めた意味は、次のように解釈できる、天上界は光と闇のコントラストをはっきりと際立たせ、3.の地上界を描くときには、アリストテレス以来の色彩学、あるいはフィチーノの色彩学 を体現するカンジアンテのみが用いられている。そして、2.天上界からの光を受け止める預言者は、キアロスクーロとカンジアンテの両方を用い ている。

ということは、ここにさまざまな人知が形成されててきた、それこそ、ヘルメス的な、古典ギリシャ的な、ゾロアスター的な人知と、天界からの光が融合し、あらたな知の地平を光と闇の描き方でミケランジェロが体現しているともとれるのである。

Dans les années 1980 et 1990, une restauration majeure des fresques de la chapelle Sixtine a révélé les couleurs vibrantes qui avaient été obscurcies au fil du temps. La maîtrise de la représentation du corps humain par Michel-Ange a également été révélée par la suppression de nombreux tissus ajoutés par les censeurs. Observées aujourd'hui, les fresques de la chapelle Sixtine ne manquent jamais d'étonner par leur beauté et leur complexité. Elles révèlent deux phases distinctes de l'art de la Renaissance, deux époques témoins de l'évolution artistique de Michel-Ange.


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教会の堕落という闇を、人間の知の総体(非キリスト教的なものを含めて)を原初からの光をもって統一しようというミケランジェロの壮大な試みが1990年に行われた修復によって明らかになった。芸術家は当時の思想的なものを表現し、未来に投げかけてくれたのである。ミケランジェロの天才は、やはり苦手なものをやろうが、得意な彫刻をやろうが、遺憾なく発揮されるものだなぁとこのフレスコ画を眺めて嘆息するのである。

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<来年の宿題>
・ミケランジェロと当時の思想
・千年王国思想
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●見出しの画像
システィーナ礼拝堂のフレスコ画
(画像はお借りしました)
世界遺産に指定されている。壮大な圧巻の作品である。



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