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スープの日

温かいスープが恋しい季節になったということで、日本スープ協会が12月22日に記念日を制定。

スープというといつも思い出すのが、佛跳牆というスープ。
きくところによると、福建省の名物だという。始まりは諸説。聚春园菜馆のシェフが考案したというのと、乞食たちが考えたなんて説もある。

佛跳墙又名福寿全,是福建省福州市的一道特色名菜,属闽菜系。相传,该菜品是在清道光年间由福州聚春园菜馆老板郑春发研制出来的,又据费孝通先生记,发明此菜者乃一帮要饭的乞丐。

修行僧でさえ、我慢できずにお寺の塀を飛び越えるという魅惑な味は何を材料につくるのか。

佛跳墙通常选用鲍鱼、海参、鱼唇、牦牛皮胶、杏鲍菇、蹄筋、花菇、墨鱼、瑶柱、鹌鹑蛋等到一起,加入高汤和福建老酒,文火煨制而成。 成菜后,软嫩柔润,浓郁荤香,又荤而不腻,味中有味。

アワビ、ナマコ、サメの尾ひれ、ヤクの皮、エリンギ、アキレス腱、キノコ、イカスミ、ホタテ、ウズラの卵を鍋に入れ老酒とともにスープを加える、弱火でコトコト煮て完成させる。具は柔らかくなり、動物性の良い香りがする、脂は多いがあっさりして、とても味がよい。

中華街などで、食べることもできるらしいが、乾物が多いために戻すのに時間がかかるため、たいてい予約が必要とのことである。

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今日は天才数学者のラマヌジャンの誕生日である。
どの伝記にも書いてあることだが、一冊の本「要覧」(純粋・応用数学基礎要覧)がラマヌジャンを虜にする。その本を書いたのはジョージ・シューブリッジ・カー。そう、知らない。無名の数学教師だ。でもこの本はラマヌジャンのおかげでたいそう有名になった。しかし名誉なことばかりではない。ラマヌジャンの学力を数学に集中させてしまった。このためラマヌジャンはバランスを崩し、退学するのだ。

Srinivasa Ramanujan naît le 22 décembre 1887 dans la ville d’Erode en Inde. Son enfance se passe sans encombres à Kumbakonam où il se fait déjà remarquer pour son excellente scolarité. En 1903 Ramanujan entre en possession d’un livre qui sera décisif pour sa vie. Cet ouvrage n’est qu’un condensé de résultats mathématiques dans un grand nombre de branches sans aucune démonstration. Les mathématiques deviennent alors son unique intérêt. Il y consacre trop de temps et néglige les autres matières, ce qui lui vaut la suppression de sa bourse d’étude.

 実は、高校時代は、部活(剣道部)に打ち込みすぎ、受験生になってからは数学に打ち込みすぎて、ほかの教科をかなり(赤点ギリギリまで)おろそかにしてしまった苦い思い出がある。東京出版の「大学への数学」という雑誌を読んで、学力コンテストに応募までしていた。才能があればやってよかった。けれども、私にはラマヌジャンほどの才能はどうやら持ち合わせていないようである。

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 ラマヌジャンはノートにせっせと演算を書き付けていた。しかも懇切丁寧に。数そのものと戯れることを至高の悦楽のように。ラマヌジャンを評するとき直感の魔力といった言葉をときどきみかけるが、直感だけではない。数式をみかけるとその問題の難易問わず解いてしまうのだろう。しかし、直感はこうした親しみの連続から生まれるものでもあろう。皮肉なことに退学で充分な時間を得た彼に、数学を止める術はなかった。ついに親が根をあげて、見合い結婚を強いた。まだ9歳の少女ジャーナキと婚約するのである。
 インドの習慣はわからないことが多いが、心理療法の一つとしてこういう手段をとることもあるそうだ。
 ”ベルヌーイ数の諸性質”という論文を書いて彼は数学界に顔を出すのだが、貧困を極め、財産は”ノート”くらいしかなかったが、ケンブリッジの数学者ハーディが手を差し伸べた。しかし、このノートはすごかった。たとえば、πの近似値をインドの数学者は10の平方根で近似した。17世紀にライプニッツも無限積で近似するなどしていた。そしてラマヌジャンは、モジュラー方程式(大まかにいうと変数xをxの整数乗で表現され関数と関連付ける式のこと)を満たすある関数が特殊な条件なもとで、πの正確な近似計算に応用できることをノートで研究していたのである。これは、いまでもπを求めるアルゴリズムの最速の手段としてコンピューターで用いられている。
 数論の(つまりは数の)申し子ラマヌジャン。次のような問題も一瞬で解ける。

ダチの家は1番、2番、3番・・・てな具合に家番号の着いた大通りにあるんだが、驚いたのなんの、ダチ公の家から右にある番地を足した数と左にある家の番地を足した数とが同じなんだな。この通りには50軒以上、といっても500軒もねぇが相当な数の家が立ち並んでる。このことを牧師にいうと、やっこさん鉛筆をすらすらと走らせてダチ公の番地を当てちまった。さて、どうやったのかな・・・・

回答は 1+2+3+・・・+203 = 205+206+207+208+・・・+288で、
288軒ある通りの204番めの家がそれになるわけだ。50〜500という縛りがなければ、たとえば8軒しかないなら、1+2+3+4+5 = 7+8 で6軒目が答えとなる。しかしラマヌジャンは、こうした問題の一般解をすぐに求めることができた。つまり、家がN軒ならんでいるときの値の方程式を求めてしまったわけだ。
   ”要覧”の特色として、証明については、詳しい説明は何もなく、その代わり、2乗、3乗の公式だけでなく、n乗の公式まで一般化して書いてある。
 また、ラマヌジャンはご多分に漏れず、素数に魅せられていた。数学者は素数が数が大きくなるにしたがって、出現率が減っていくさまを対数と関係しているのではなおいかと推察していた。そして、自然界には対数的な応答が多い。たとえば、部屋の明るさを倍にしても、倍になったと感じない。さらにリーマン予想がある。ゼータ関数に関してリーマンは6つの仮説を行った。まだ証明されていない1つが、素数分布について重要な結論が導かれるだろう。ラマヌジャンはこれについても研究をしてゼータ関数にあたるものを自力であみだそうとしていた。そこには誤謬があったのだが、まわりの数学者たちはこの誤謬について、なぜか寛大なのだ。「本能があやまらせた」などというのである。ラマヌジャンの方法は事実、直感的で、数というものを仏教徒が経を読むようにそれと戯れ、数の中にさまざまな神秘を見出し続けた。
 しかし、ラマヌジャンは戦時下の英国で体調をどんどん崩していく。菜食主義が悪化させたという人もいる。それでもなお、タクシー数(1729という数が平方の和で表せる)は体調を崩してインドに帰国する直前の逸話である。熱狂的にインドはラマヌジャンを歓迎したのだが、体調は精神をも蝕んでいた。ジャーナキに辛くあたりもした。それでも献身的に”結核”のラマヌジャンを癒そうとするジャーナキ・・・それもむなしく、やがてラマヌジャンは死を迎える。享年32歳だった
 数学は実に範囲が広いのだが、ラマヌジャンが功績を残したのは数論というごく限られた分野だ。しかし、その功績の応用範囲は実に深くて広い。
超弦理論の解析は26次元に及ぶというが、そこでモジュラー形式に関するラマヌジャンの研究は必須といわれている。また、統計力学、たとえば、液体ヘリウムが炭素結晶内でどのように拡散するか、といった問題でラマヌジャンの恒等式がモデルをよく表すのに使われたりもする。

 多くの分野で数学が使われるのは実は当然といえば当然で、神に一番近づける学問は宗教でも哲学でもなく数学なのである。

 私は、ラマヌジャンに佛跳牆を飲ませてあげたかった。

参考Note:タクシーの日
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<来年の宿題>
・世界のスープ
・ラマヌジャンの数論 ☆
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●見出しの画像
佛跳牆(画像はお借りしました)

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