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日記の日

アンネの日記が1942年の6月12日から始まっていることを記念した。
1944年で日記は終わっている。ゲシュタポに捕まったからだ。
強制収容所にて、チフスによって亡くなる(享年15歳)
アムステルダムの隠し部屋には8名が隠れていた。ただ一人戦後まで生き延びた父(オット−・フランク)によってアンネの日記が出版された。
引用する記事は、感染症の流行による幽閉生活のおかげで、この日記を再読することができたと感慨深く記している。

Elle évoque les rêves d’après-guerre des résidents de l’Annexe, de nouveaux habits et de nouvelles chaussures. Elle raconte ses relations difficiles avec sa mère, les engueulades incessantes, son besoin d’amour, ses coups de colère, son sentiment d’être incomprise, sa volonté de se libérer de la tutelle des parents. Elle peste, et n’imagine pas qu’un jour, les choses pourraient changer et le monde redevenir normal. Elle s’entend crier: «Sortir, respirer et rire!» Elle se réfugie dans son journal, compose une ode à son stylo-plume, un cadeau de sa grand-mère quand elle avait neuf ans, objet précieux à ses yeux et qui a disparu brusquement sans laisser de trace.
●Annex ... 通常は別館を意味するが、ここでは隠れ家を指す。
 不謹慎だが Anne と Annexをかけてしまった。
抄訳)
彼女(Anne)は別館で戦後を夢見る。新しい服、新しい靴について思いを馳せる。母との難しい関係、絶え間ない罵り合い、愛の欲求、怒りの爆発、親の監督からの解放への希求などについて語られています。彼女はただいつの日か想像もできないけれど、事態が変わり正常に戻ることに思いをつのらせます。”外に出たい、呼吸したい、笑いたい”と叫びます。彼女は日記の中に逃避し、万年筆で叙情詩(ode)を書き上げたのです。万年筆は9歳のときにもらった祖母のプレゼントである。9歳の目にはとても高価に映っただろう。しかし痕跡もなく失われてしまった※のです。

※万年筆はあやまってストーブで燃やしてしまったと
 1943年11月11日の日記にある

 アムステルダムの倉庫に隠し部屋を作り、その中で幽閉生活を送る。声を潜め、息をつめる。BBCラジオだけが外界との唯一のつながりで、小さい音で鳴らされていた。万年筆祖母からもらったもので、日記帳は父からの誕生日プレゼントであった。

6 juin 1944. Elle note la nouvelle du débarquement allié en Normandie, l’espoir qui renaît, Churchill dont on apprend qu’à soixante-dix ans, il avait eu l’intention de se lancer avec les troupes et n’y a renoncé que sous la pression d’Eisenhower. Elle rapporte le discours du général de Gaulle, entendu à la radio de la BBC depuis son confinement. Elle imagine qu’en octobre peut-être, si tout va bien, elle va pouvoir retourner s’asseoir sur les bancs de classe. Et elle observe: «Nos pensées sont aussi peu variées que notre vie, elles tournent sans cesse comme un manège, des juifs à la nourriture et de la nourriture à la politique.»
À quinze ans, l’écriture se bonifie, le jugement est plus sûr. Elle considère que la femme n’a pas toute la place qu’elle mérite dans la société, que les choses devraient évoluer dans le futur. Elle garde jusqu’au bout ses convictions, continue à croire en «la bonté innée de la nature humaine».
抄訳)
1944年6月6日の希望が生き返ったノルマンディー上陸作戦のことについて70歳のチャーチルは軍隊のことに固執し、アイゼンハワーの圧力によってようやく諦めたことに関しても、ド・ゴールの演説についても日記に残しています。彼女はど幽閉生活当初からBBCのラジオ放送を聴いていたのです。アンネは、全て良くなったら、10月には再び教室の自分の席に戻れるのではと想像していました。「わたしたちの考えは、わたしたちの人生と同じく、いつもいつもおなじことばかり考えているんです。ユダヤ人であることから食料、食料から政府のこと。。メリーゴーランドのようにぐるぐる考えています。」
15歳になると文章もしっかりしてきて、判断も的確になりました。アンネは女性の地位向上を考え、物事は将来改革されるべきだと考えています。彼女はずっと人間が生まれつき善であるという信念を持ち続けました。

 私がアンネの日記を読んだのは、小学校の教科書だと記憶している。
アンネの母親がもっと不幸な人がいるといったのに対し、アンネは、そんなことを考えるより、自分の周りにある幸福を考えて過ごしたほうがよいと反発する文章だった。
 アンネが、品行方正で道徳的な少女だったから、教科書に載っているのであろうか。。。。
 第6サティアンの1階と2階の間に隠し部屋をつくり、彼は隠れていた。
捜査官が押し破ったとき、彼は960万の現金と寝袋を抱えていた・・・
隠し部屋の敷居が壊されるとき、彼はどんな恐怖を感じたであろうか。
(あまりの恐怖に、卓越した宗教的指導者でも失禁したという噂もある)
それと同じ恐怖を15歳の少女が経験させられた。ゲシュタポと警察の善悪は私などにはわからないが、彼の日記があったとして、教科書には少なくとも掲載されないであろう。
 小学校のときの私は、教科書にのるのらないよりも、”人の日記をみる”ということに興奮してしまった。秘密を覗き見をしているような、背徳感をともなう興奮だった。
 人の手紙や日記は知的興奮を誘うらしい。
和泉式部日記や、土佐日記、更級日記・・・など多くの作品が日本にあるが、それらは読まれることを前提にしているなら、ほかの文学作品と変わらない。むしろ、読まれることを想定していない日記がいい。
 その格好な例としてサミュエル・ピープスの日記がある。詳しくは「ピープス氏の秘められた日記」(臼田昭)に譲るが、ピープスは平民からたたきあげで上官になった政治家である。ロンドン王立協会のフェローにもなった博識だ。彼の9年にも及ぶ日記には、1665年のペストの流行の様子や、1666年のロンドン大火についても記している。当時の生の声がわかる貴重な記録である。とともに、彼自身の秘められるべき女性関係について多くの記述があるのだ。しかも暗号が施されている。これを紐解いていく知的興奮はとてもスリリグだ。
 ちなみに、日本にもそうした日記がある。お畳奉行の日記がそれだ。
来年の今日は、サミュエル・ピープスの日記について書いてみようと思う。


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